私の右翼・左翼の解釈・イメージ
右翼ー愛国主義、反共(赤旗祭りではすごい)、街宣、暴力的集団、威嚇、武力行使、好戦的、テロリスト、政権党の番犬といったイメージがつきまといます。ものごとを、理論的に考えるのではなく、言葉を介するときでも、常に、威嚇が見え隠れする。対話とは、程遠い。強者(力)になびく、トラの威を借る狐というとこでしょうか。
また、天皇制、日の丸、君が代、忠義、義理人情など、日本古来の旧式、慣例が好き? 短絡、アウトロー、身内意識、孤独・寂しがりや、渇愛、臆病などなど・・・
左翼ー革命、過激な言論、理論武装、反戦、世界的共存、共産主義、被抑圧者としての視点、真実追求、反骨、反権力、異議申し立て、加害意識が鮮明、贖罪、自爆、イデオロギー、ネクラ、文庫本・・・
以上、偏見に満ち満ちた、私のなかにあるイメージです。が、最近、いえ、昔からですが、どうも、こうした言葉は、うそっぽい感じがしています。
私は、左翼でも、革新でもなく、なんなのかは、しりません。右翼でないことだけは、確かでしょう。
ただ、この度、私が、文章のなかに、引用してきた「右翼」は、今風の排外主義をさしています。「つくる会」「救う会」一連の思想にある、偏狭なナショナリズムをさしていっています。昔の左翼が石原になびき、小林よしのりに心酔するという現実があるなか、右翼や左翼という言葉も、メッキがはがれました。共産党にもです。共産党は、左右混合体。革新というイメージも薄く、綱領云々というよりも、実態が、いろあせてみえます。
私は、強いていえば、本物のリアリストでありリベラリストでありたい・・とおもうのですが。
ちなみに、今の戦争を語るとき、どちらかに分離されるとおもいます。現在進行形の戦争に参加か否かとわれているとき、中道はありえない。イラク戦争に反対だが、有事法には賛成、というのは、まやかしです。有事法には、反対だが、北朝鮮に圧力をーーというのも、論理破綻。
すべてのものごとの連携と枠組みを、きっちりと、みることです。独断か否かはあなたが判断することで、私の意見です。また、わたしは、一連の投稿を読まれているということを前提にかたっています。その上での、論争とこころえています。