朝鮮人強制連行のついて、「募集」「官斡旋」は強制ではなかったと戯言を言う人がいる。しかし、韓国、北朝鮮は勿論、日本の歴史学界でも、募集、官斡旋も強制連行の一形態であるというのが定説になっている。
1939年日本では日中戦争による労働力不足を補うために、労働力動員計画が立てられた。当時植民地であった朝鮮に割り当てられた人数は8万9千人。募集をしたがノルマが達成できない。それで、ノルマ達成のための人狩りが行われた。文末に実例を挙げています。
アメリカとの太平洋戦争がはじまると、労働力不足はさらに深刻になり、国家機関が直接労働者を集める官斡旋に移行し、1944年からは徴用令状による文字通りの強制連行が始まる。
朝鮮人強制連行、南京大虐殺などの問題を、左翼、右翼のイデオロギー問題にしたがる人たちがいる。しかし、これはイデオロギーの問題ではなく、歴史を直視するか、それから目をそむけるかの問題だと思う。ドイツ、イタリアは別に左翼でなくても歴史を直視してきた。
朝鮮人強制連行、南京大虐殺などの歴史的事実を否定していると、アジアだけでなく世界から日本は孤立していく。戦時中の捕虜虐待については、イギリス、オランダでも批判が根強い。
人も国も過ちを犯すものだ。大事なのはその後の態度だ。過ちを真摯に反省するのか、それとも過ちを認めず、むしろ被害者に非があったように居直るのか。国家の品が問われている。
例1
「各道の道庁に常盤炭鉱から何名ほしいからよこせと行く。と道庁ではどこの郡に一番遊んでいるのがいるかを知っているので郡に行く。郡から又村(面ということです)に夫々おまえの所から何名というように命令する。すると、面長は大概日本人なんです。すると面長は責任を以って強制的に何月何日までにその人数をかりたてるんです。その家の長男であろうが何が構わない。それでこちらから日本の募集人が募集の書類を持っていくと絶対です。募集係はそれを引率するだけです。ただ途中汽車からとびおりるのが多くてね。そういうわけだから集まるわけです。」日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会『戦前から昭和二四年春までの常盤地方及びに全国的な炭鉱労働運動』(1958年)
例2
「納得の上で応募させていたのではその予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲い、或は田畑で働いている最中にトラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して北海道や九州の炭鉱に送り込み、その責を果たすという乱暴なことをした。」鎌田沢一郎『朝鮮新話』(1950年)