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長野裕也氏の民主主義とは

2003/6/3 共産党ファン、20代

 市田書記局長のホームページにHP限定の「長野裕也の政界キーパーソンに聞く」と言うインタビューが載っている。この中で長野氏は正論も述べているがブルジュアマスコミにも良く見られる議論を展開しているので取り上げたい。
 長野氏は民主主義の成熟などとして、政権交代が大事だ。その時共産党がその障害になっているとして、選挙協力も行え、小沢主導の第二自民政権にも参加しろと言う。これは他のブルジュアマスコミでもよくある議論だ。その中で長野氏は、共産党の綱領のマルクス・レーニン主義特有の用語が化石のようにならんでいる綱領を見ると・・・とか最後には日本共産党が革命政党から脱皮して国民政党になれるか・・・などこれまた反共派やブルジュアマスコミでよく聞く議論を展開している。
 これはまったくおかしな議論ではないか。
 これは長野氏が民主主義の成熟などと言うなら、いかに長野氏の思惑通りいかずに、第二自民政権の障害になっていても、いかに少数であれ共産党の存在やマルクス・レーニン主義特有の用語が綱領にならんでいようが、認められるべきだし、革命政党の存在も民主主義と言うなら認められるべきである。それを革命政党から脱皮して国民政党(つまり社民主義への転落)になれと言うのでは革命政党を否定していて民主主義に反するのではないか。
 このように長野氏や多くのジャーナリスト、ブルジュアマスコミなど支配勢力に共通しているのは民主主義の成熟などと言いながら自分達に都合のいいものは認め、都合の悪いものは認めないと言う民主主義に反する議論だ。