赤旗7月1日付
故郷を奪い生命も奪った (チョウ ソウ ホワン 69歳 ハングル講師)
朝鮮半島を植民地支配され、1939年公布で朝鮮民族に「創氏改名」の強要があった。2年後、私は8歳で国民学校1年生。故郷の家屋田畑を収奪されて私達一家は堺市に流れるがごとくにたどりついた。
ある日、警察官と共に数十人の青年たちが私の家も含めた朝鮮人の住む家々を襲い、竹やりでたんすの中をかき回しているのを見た。国家権力が容認した、植民地とした民族への蔑視テロ行為であった。
彼らの持つ竹やりの先に、母と妹の色鮮やかなチマ・チョゴリが舞いつづけていた。村の中央にあつめられ燃やされるのを、8歳の幼心にしっかりと見とどけた。
その日を境に先祖から連綿と続く「チョウ」の姓が「夏山」に変わった。右隣は春山で、左は秋山であった。冬山姓は聞かない。風聞で、故郷のあちこちで「創氏改名」を喜ばぬ多くの祖父母たちが井戸へ身を投じ心中したことを知った。
これが「八紘一宇」「内鮮一体」の実態であった。その日を限りに朝鮮村から女たちの笑い声が消え、集う姿がまったくみ見られなくなった。
今、日本は強大軍事国家として歩もうとしている。
鉄っちゃん様へ
いつか、質問ががあったようです。実は、私は、今までの資料のなかから、反北朝鮮派の文献を確認して、あなたに応えようとおもっていたのですが、筆坂議員の件、戦争拡大など、言わねばならないと思うことがつぎつぎとでてきて、その余裕もなくなってきました。
私がおもうに、反長壁派のひとびとがよりどころにするその文献は、恐らく、「勝てば官軍」式の日本版広報あるいは官報のようなものでないかとおもっています。
なぜなら、この私は、今まで、ほとんど、日朝の歴史も、アジアのなかの日本の位置づけも役割もしらずにいた、脳天気な人間です。その私が、日本のすさまじい北朝鮮報道に接し、真っ白な頭で考えた意見等をこのメールによせてきました。学校では一応日本史を選択しましたし、普通の勉強をしたつもりでしたが、現代史はもちろんのこと、近代史も、学校のテキストなどでは、歴史の真実などはおそわりません。
このことは、当然、日本の国策で政治教育が行われていることを意味します。国策という言葉は、非常に便利な言葉ですが、過去、現在のアメリカ戦略をみても、非常に分かりやすいですね。つまり、自国の利益・欲望のために、他国を収奪することです。国内であれば、日本国のために、個々の民衆の営みを犠牲にして、国を越え太らせるということです。あるもののために、あるものを犠牲にして、突っ走ることが資本主義の論理ではないでしょうか。
企業ならば利潤、国家ならば国益、他国よりのし上がりたい、他国を虐げて優位になりたい、こんなレベルが戦争なのではないでしょうか。
で、私は、過去の戦争を当然、侵略戦争であるとみているのですが、先に仕掛けた側が侵略国であることはいうまでもないことです。1945年、日本は、それまでのアジア侵略戦争に敗北しました。米国に核爆弾を落とされ(実験)、死に体となりました。日本の場合は、アメリカの思うとおりになったのだと思います。アイデンティティーも尊厳も冒され、奴隷の民になりさがりました。マッカーサーとのとりひきで、天皇の戦争責任もあやふやにさせられ、戦争責任者は数人のみせしめにおわり、しかも、靖国にまつることによって、英霊と化し、日本が一丸となって、勇敢に戦ったのだとしたい子孫によって、「つくる会」が発足し、そうしたテキストが養護学校におしつけられます。
アジアの民にどれほどのひどいことをしても、人間は、加害の意識などもちたくないのです。都合のいいようにかんがえたがるのです。残酷であればあるほど、そうなのでしょう。ですが、被害者側は、そうはいきません。踏まれた足は、いつまでもいたいし、相手が謝るどころか、傷に塩をすり込むようなことばかりしたのでは、「恨」は永久にきえません。テロの種と同じです。
さて、朝鮮戦争ですが、逆に、おききしたいのですが、「朝鮮戦争そのものは、大戦後の米ソ対立の中で北の金日成がしかけ、それに米国が介入した結果、南北朝鮮の罪もない多くの人々が犠牲・・・」と、鉄っちゃん様は、おっしゃられますが。
米ソの対立のなかで、北はどういう位置にあったのでしょうか。金日成は、何のために戦争をしかけたのですか。戦争は国益のはずですが。なぜ、結果が金だけがわるものになり、罪のない南北の民衆だけが犠牲になるのですか。
そして、「もちろん、朝鮮半島の分断には日本軍国主義による支配が大きな要因ではありますが」と、理解されています。
ならば、おおわくで考えれば、朝鮮戦争は、アメリカの占領政策のもとにあった日本軍が、米国の手先になったであろうとかんがえられないのでしょうか。
何の努力?もしないで、朝鮮特需がたなぼたしきにおちてくるものではないでしょう。
極悪の日本国家が米国にやられ、アメリカの民主主義(当時はまともな民主主義)を与えられ、一見、まともになるかのようにみえたのですが、アメリカも、もともとそんな善人ばかりではありません。すべては、世界制覇が目的なのですから。日本に核爆弾の人体実験をしたのは米国ですよ。
ともかく、それまで、36年間(朝鮮の人にすれば40年間)植民地化されて、辛酸をなめた朝鮮のひとびとですが、ようやく、日本がポツダム宣言を受諾、解放され、民族独立に向けて、朝鮮全域に人民委員会が出現します。
まもなく、米軍は南朝鮮に上陸、軍政をしきます。日帝の総督府統治機構を温存し、米軍政庁と改称。以降、人民委員会解散命令に始まる、弾圧がくりひろげられます。
表向きは、米英3国外相会議、朝鮮の独立を保障する決定採択(1945年12月29日)。
翌日、栄韓国民主党首暗殺。
1946年 5月23日 米軍、朝鮮人の38度セン越境を禁止。
10月1日 南朝鮮10月人民抗争(参加社300万、死者300)
1947年 7月、呂 勤労人民党首暗殺
12月、張 韓国民主党政治部長暗殺
1948年 4月、南北諸政党社会団体代表者連席会議
南北総選挙を決議
9月、朝鮮民主主義人民共和国樹立
このころ、南朝鮮各地でパルチザン闘争激化
1949年 2月、李承晩、国会で「国防軍は必ず北に攻め入るべき」と演説、閣僚、軍高官等の北伐発言相次ぐ
5月頃から、38度線の北半部地域である黄海道、江原道の戦術拠点などに韓国軍の侵入激化〔この年だけで1、836回)
1949年~50年6月までに以北に侵入した南朝鮮軍警2、650名を殺傷。3、553名を捕虜、捕獲した各種小火器4万6,423丁。種砲1,351門。
6月25日韓国独立党首金九暗殺
1950年 2・16~18 マッカーサーが李承晩を東京に招き、反共政策で会談
5・30 第二回韓国国会議員選挙、定員210議席中、与党は57、南北協商派の圧倒的進出。
米の朝鮮分断政策と李承晩政権の危機となり、ジョンソン米国防長官、ブラッドレー米統合参謀本部議長来日、マッカーサーと会談
6・18米国務長官ダレス、38度線視察
21~27ダレス来日、マッカーサー、吉田首相らと会談
6月25日、朝鮮戦争勃発(53.7.27停戦)
朝鮮戦争がはじまるまでの、事件等をピックアップしましたが、当時、米軍は、解放とみせかけて、朝鮮支配をこころみ、日本を使い、武器など軍事物資を調達することで、一時的にうるおわせ、戦後復興させやすくしてやります。憲法などをもとに、本格的な民主主義国家になってもらうと都合がわるいので、反共作戦は永続させます。この間、日本を反共の防波提、極東の工場にすると演説、1949年には、すさまじいレッドパージがはじまります。
団体等規正令公布、下山事件、三鷹事件、松川事件、在日朝鮮人連盟、在日朝鮮民主青年同盟に解散命令などなど。
1950年には、集会、デモの禁止令、日本共産党幹部追放令、「アカハタ」発行停止命令その後、レッドパージは本格化し、ついに戦争がおこされます。
ちなみに、日本型テキストには、書かれていないかもしれませんが、独立気概に富む朝鮮半島の人々を分断し、民主的リーダーを次々暗殺、当時、米軍から逃れ、北に民主国家をと集ったひとたちの脅威を感じた米軍は、勝手しったる日本軍を使わない手はありません。顔つきも似たもの同士です。韓国兵の服をきせ、偵察をやらせていました。当時の吉田茂首相は、「国連軍に協力するのは日本政府の方針」とし、掃海隊の朝鮮出動を命じました。数千名に上る日本人が、東海の全域で作戦を展開しました。生まれて間もない朝鮮民主主義人民共和国を併合しようと、1950年6がつ25日、ひきおこされた朝鮮戦争の内実です。後方支援をしっかりと受け持ち、日本の存在がなかったら、朝鮮戦争は困難を極めたといわれています。 北朝鮮に対して、異常な反応をするのも、隠しておきたいことがありすぎるのかもしれません。今の北朝鮮報道は、ちょうど、以前の韓国報道とそっくりだそうですよ。