12日付けの鎌倉太郎さんの発言とは、反対の立場を取っています。
私は、加害者の親が世の中に出る必要は無いと思います。
その理由は、加害者の親を見せしめにすることで、被害者とその遺族以外の…つまり、部外者の、攻撃感情が満足されてしまうからです。
私自身、この加害者少年に対する攻撃感情を持っていますが、しかし私は事件の部外者なのです。
この場合、遺族の恨みと怒りを尊重しなくてはいけないのであって、部外者の人達の「八つ裂きにしてしまえ!」という感情を満足させてはならない、と私は思います。
だから、加害者の親と被害者の遺族が面談したり、ということはむしろ良いことと思うのですが、部外者の目にさらすのには反対です。
私は人間は「生まれながらに善」だとは思っていません(悪とも思っていません)。
だから本能の部分で、誰しも他人を攻撃したい「攻撃欲」を持っているんじゃないか、と考えています。
そして善悪がハッキリしている事件に出くわすと、「あいつは悪党だから」という正当化に基づいて、攻撃欲を解放してしまう傾向があると思います。
少年犯罪にかかわらず、善悪がハッキリしている事件の場合、加害者の親に匿名の攻撃電話がかかってきたり、加害者の子供がイジメにあったりするのは、そういう傾向のためだと思います。
一方私は、この少年には死刑が適刑だろうな、と考えています。
私個人の攻撃感情を抜きにしても、「人を殺せば死刑」というのが重いとは、私は思いません。
ただ、無条件にどの殺人でも死刑という訳で無く、それぞれの事情に応じて、減刑する場合もあるのが良いと思います。
冤罪の可能性がある場合(グレーゾーンを残す場合)は、死刑は求刑してはならないと思います。
「罰を重くしても犯罪は減らない」という意見があります。
その意見には賛成ですが、もともと罰はその罪に応じて与えられるもので、世の中への良い影響を期待して与えられるものではないのでは。
罰の重さは、罪の中身だけを問題にするべきと思います。
犯罪を減らすためにペナルティの重さを調整するのではなく、ペナルティを与えた後のケアとか、罰以外のところで対策を講じるべきと思います。