鴻池発言の趣旨は、「親を公にさらすことで、親に責任を強く自覚させ、子供にたいする親の監視の目を厳しくさせる」というものでした。
まず、原因ではなく、責任のほうに全意識が集中しているように見受けます。しかし、親がすでに責任を痛感しているのは自明。すでに生きていること自体が苦しいでしょう。糾弾欲を満たすだけの行為・言説はナンセンスです。
[社会・親子]から[親子]へ
さらに、暴災相は、事件の「原因」を親子に「矮小化」し、問題の兆候が出現して「以降」の子供の行動を封じ込めよう、単に否定しよう、という発想をしているのでしょう。親子以外の社会にある原因については、まったく?思考の埒外なのです。
[人間・カラス]から[カラス]へ
石原のカラス対策も同じような発想。ゴミの出し方という、人間がつくった「原因」に手を打つのではなく、原因の「外部」としてのカラスに物理力を行使(捕獲)するのです。
[アメリカ・フセイン]から[フセイン]へ
アメリカによるイスラエル支援というイスラム・テロの「要因」、フセインそのものを支援したという「歴史的因子」を国民に隠蔽したまま、ブッシュ一派はイラク戦争を起こしました。
ところで、野党四党は十五日、鴻池防災担当相に対し、発言の撤回と謝罪、しかるべき形で責任をとるよう申し入れました。申し入れ書は「青少年問題の担当大臣が、法律にないような罰や制裁を与えるべきと公言することは、民主主義国ではあり得ない・・・」というもの。
共産党には、教育問題に限定しない、広い視野にたった分析をしてもらいたいところです。機会あるごとに、変革の必要性・方向性を明快な言葉で国民に説得する必要があります。
ところが上記の申し入れ書では、そうした説得力はさっぱりありません。鴻池・石原・ブッシュの共通性を抽出して訴えるのが、一つの手ではないかと思うのです。