みんなで決めないとなかなか行動ができない。上の指示待ち。そんな感じがする。日本母親大会で腐った弁当を食わしても隠匿する。言ってることととやってることの落差を埋めようとしない。筆坂の問題では老齢の党員が「規約に基づいて処理した、あとは党内の問題だ」と言っていた。なぜ性的嫌がらせをしたのかの自己批判は知らせない体質に不安と疑問を持つ。現場でカンパ集めてノルマを果たして上納する、、、議員の選挙はそうやって支えられている。一生懸命応援した人は怒っている。「金かえせ」という声も妥当だと思う。そうした思いや声をなぜ明らかにしないんだろうか? 活動で失敗したときの自己批判は死ぬほどつらい「つめ」があったのに、国会議員や常幹だと扱いがちがうのか。私がいちばん不安に思うのはこうした事態があって、まわりの党員が黙して語らない、そうした雰囲気と体質では改善も未来への展望もないんじゃないかということ。党員はもっと勇気をもっていいと思う。そもそも、人間らしく生きることを大切にするってことが原点じゃなかったか? 野坂、市川、筆坂と最高責任者等のひとたちのくびを切ればことはすむわけではあるまい。革・・・(文字化け)・・・。