鎌倉太郎さんの投稿を見て、いくばくか思うところがありますので、少しばかり私見をはさませてください。この投稿欄の、本来の趣旨からはずれてしまうことをお許しください。
なぜなら疑問を抱いているからなのです。鎌倉さんを一例として、被害者(側)の人権をもっと保護しろとの声と、加害少年が少年法で保護されすぎだ、との論調が強まっています。ここ数年目だってきている声です。
もしもこれに従う形で、少年法が現在のものと逆の内容だったらどうなのか考えてもらいます。そうすれば、加害少年の実名・家族・通学校などはすべて明らかにされ、場合により死刑になることもあるでしょう。そして、その周囲の人々は第3者からの好奇の視線・悪意といわれなき暴言に悩まされることでしょう。(今でも、2ちゃんねるなどを通じておきています。)何より、本人が死刑や終身刑とならば、更生する機会を永遠かつ権力的に奪うことになります。ともあれ、この議論の背景にあるのは、その可能性を信じていないことと、復讐心が前面に出ていること、気に入らないものを排除しようとする心理、そしてあってはならないと考える物事に対し、知性や人間性ではなく暴力で対応しようとする前近代的な思想、以上もろもろのものではないですか。
最も、現行でもおよそベストではないし(加害者側からしても取り調べのやり方、代用監獄など問題は多い)、教育刑の理念をさらに押しすすめたとしても、今も出てきているような問題はあるでしょう。これならこれで、被害者はやられっぱなしなのか、復讐ではなく敵を許せなどと簡単に言ってくれるな、というところでしょう。ただ、次のことを考えてほしいのです。
少年犯罪を未然に防いだり、減らしていくためには何が必要なのか、死刑は被害者サイドの復讐心を満たす以外の効用が何かあるのか、またこれが犯罪への抑止力になるのか、最後に加害者と被害者両者の人権を現状以上にバランスよく守ることはできるのか、これらを論点にしたいのです。
勘違い、無知をさらしたかもしれませんが、意見をお待ちしております。