40年生きていたものから申しますと、今回の駿ちゃん事件のショッキングさとは、まさに暗澹たる想いを感ずることです。
12歳という記号で括られていますが、実態は小学校6年生の犯罪です。うちにも、子供がいますし、私も中学1年生だった時があります。つい3ヶ月前には集団登校で小さな子供たちを引率していたお兄さんの殺人事件なのです。
心理学者の意見としては、性的成熟を前にした自己愛の異常行動として、幼児性愛に至り、事件の状況から衝動的に屋上から突き落としたと思われる事件です。
人として振り返るに、心の闇がポッカリと穴を開けている想いに至って言葉もありません。特に、加害者と関わる同級生たちの心の不安は如何なるものでしょうか?何故なら、この性愛に対する異常性と衝動性については私の心の中にも潜んでいるものだからです。
いったい、この事件に他人事の対応ができる人は、どの様な青春を送ったのですか?人が、成人するまでの不安定な時期、犯罪までは行かなくても激しい衝動を感じることがなかったんでしょうか?私には、そのような衝動を感じたことが有ります。勿論、それは幼児に向かった訳ではありませんが。
私は、この犯罪を是認している訳ではありません。しかし、子供同士の殺し合いに直面して言葉を失っているのです。何の批評も発言できないのです。この事件の暗黒に、怯懦を感じているのです。これが、一般的な大人の発想だと思います。そして、幾ばくかの責任を感じているのです。
この様なことが起こったのは、その子個人の資質だけなのか?と。いや、教育制度の変更云々を言っているわけでは無いのです。この大人たちの世界が、又、異常だと思うのです。
この暗澹たる事件に対して、時代劇の言葉を使う脳天気さ、そして、日々新聞を賑わす政治家の腐敗。いっときますが、汚職は犯罪ですよ!それも、ゲスな窃盗犯ですよ!どこかの知事、道路公団幹部、未だに議員報酬をもらっている収監された犯罪者、それに対して何らの非も唱えない議員達。借りた金を返さない企業(債権放棄)その債権放棄の資金を税金から取得する銀行。せめて、これらのモラルハザードを改善すれば、子供達にメッセージを送れるのかな?と想います。今の大人達には想像力が欠如しているのではないでしょうか。もし、自分の身近でこんな事が起こったらという想像力が。