人工生命の生みの親と言われているアメリカの科学者クリス・ラングトンの考えを「生きているシステムは、エンジニアが機械を設計するときのようにトップダウン方式でつくられるのではなく、常に、ずっと単純なシステムの群れからボトムアップ方式で創発してきているらしい」と書いている。(「複雑系」M・ミッチェル・ワードロップ)
これはコンピュータの話ですが、示唆にとんでいます。生命とは個々の部品でなくその組織に宿るものだとも言っています。それは上からあらかじめ決められたものでなく、個々のふるまいのよって創られるものだということです。
これは個人のふるまいが社会を成り立たせるひとの世界にも、社会の変革をめざしている共産党の組織にも同じことが言えることだと思います。
民主集中制の組織が豊かに発展する個々の能力を阻害しているのではないでしょうか。(自らが変わらなくて、世の中を変えられるはずがありません)
こんどの「綱領の改定について」(7月21日赤旗)で不破さんはレーニンの考えには問題があったと言っています。ソ連が崩壊して歴史的に学ばれたのでしょうが、もし、ソ連の崩壊前に勇気ある発言を声高にしたひとがいたら、反党活動ということで排除されたでしょう。
絶対的な真理などというものは、それこそ神でなければ知るゆえもなく、時代の制約からのがれるものではないでしょう。(すべてがわかってしまった世の中に、はたしてひとが生きる価値があるものだろうか)科学とは、まず疑うことからはじめるべきだと思います。
マルクスにしてもダ・ウィンが進化論を唱えた時代の自然科学しか知りえなかったのですから、もし、今の時代に生きていたら発展的マルクス主義とでもいうものを考えているかもしれませんね。