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一般投稿欄

イラクでの戦死者には、退職金5割り増しをーー読売テレビS氏

2003/7/8 長壁 満子、40代、金融

 イラク特措法へ後押しする読売テレビの捏造解説、扇動・誘導報道が連日くりかえされている。4日、衆院では、筆坂セクハラ疑惑の合間に起立採決された。6日のサンプロは、志位さんが、終始にこにこと、セクハラ防止のための「飲酒禁止令」の釈明をやっていた。その前に、自冶保民(最近、政党名の把握が難しいです)が、イラク法案をめぐって、ゆでがえる会議。なぜか、共産党は、排除である。筆坂事件は、しっかりと、この一連の流れに組み込まれている。
 さて、胃をやられながら、この戦争犯罪メディアを観ずにいられない私であるが、ビデオでもとっておくと、戦後の検証に役立つのではないだろうか。私のうちでは、ビデオは壊れてつかえないが。
 本題に入る。
 今日は、例のS氏(実名を出したいが、削除される恐れあり?)。この人がでるときは、必ず、何かが動く。
 イラク戦争の大義のプロパガンダが次々ほころび、いくらなんでも、この度の占領支援及びイラク人殺しの法案には、懸念が生じている。もっとも、その懸念の多くは、こちら(自衛隊員)が殺される可能性についてであるが。
 これら懸念を払拭しようと、S氏の見事ないなおり解説が披露された、今日の読売テレビである。

   イラク(特措)法案の中身についてーー
 ① 人道復興支援  テントとか水とか、生活関連物資の配布。また、治安維持ーー米英軍の後方支援ですね。
 ② 安全確保
 ③ 非戦闘地域
 ④ 武器は最低限

 イラク法案審議の流れは、5月23日、日米首脳会議に始まり、云々・・・問題・懸念は、次の4点
 1、議論が充分でないーー上記のように、議論はしてきているのですが。
 2、非戦闘地域は安全かーー安全でない。たとえば、自爆テロが突っ込んできたときなど、どうしようもない場合がある
 3、武器携帯条件?は妥当かーー自爆テロで米英などがや   られているときに、武器がなければ、応援もできない。交戦はしないけれど(?)、自爆テロを防ぐには、AやBの武器が必要です(専門的な武器の名前を把握できませんでした)。
 4、武器は従来どおりでよいかーーよくないです。危なっかしくて、今のままだと自衛隊の安全が守れない。

 ならば、行くべきでないか、行くべきですーーとS氏はつづけます。理由は、①国連の要請であること ②ポーランドとか既に、30カ国(この前は、130カ国?)が派遣されているのです。③産油の安定は日本の安定。日本も埋蔵権を頂きましょう。④北の脅威があるから〈助けてもらう必要から)、日米の悪化を招いてはいけない。
 結論として「武器使用の緩和と憂いなく行かせる事」と、結びます。
 行かすものは責任をとれ
 生かされるものの身になれ
 若い人(戦死者)は退職金(弔慰金制度?)などは、少ないのだから、5割増しにするとか、向後の憂いなしにいかせることです。

 私は、朝からボルテージがあがっています。
 みなさんは、こうしたメディアの報道をご覧になって、なんともおもわないのでしょうか。あまりに声が聞こえてこないが故に、周りの反応なども加味したうえで、私の世論に対する批判は、どんどんエスカレートしていくのですが。
 どう考えても、これは、異状です。イラク戦争の欺瞞そのものをなおざりにし、その後、現在の無法な占領ーー本日の赤旗に米兵自身が略奪や破壊行為をやっている{米紙報道}も掲載されていましたし、イラクから帰国のジャーナリストの報告もされていますが、どこからどうみても、米国と日本の戦争派は、正常でない。つまり、狂人です。はっきりいって。
 先日、「いつまでたってもトロさん」に、真摯な助言をいただきました。ありがたいです。時間がないので、詳しくは、またにしますが、私は、「ロボトミー」という言語また狂人といった侮蔑言語の類は、あくまで、対象を限定しております。精神障害者の悲惨は悲惨として、だからこそ、その悲惨を引き起こした張本人つまり、権力者にこそ、むけられるべきものと考えています。
 過去、今現在、支配者側の、権力者側の暴言、暴虐 、おどろおどろしい犯罪行為が、巷にあふれかえっています。3万人の自殺者などは、権力者のテロ行為といえるものですよ。りそなの公的資金注入も保険の予定利率引下げ法案も、株価の操作も、すべてすべて、これ、戦争政策の一環なのです。パイをどんどん小さくしていき、落ちこぼれを犯罪者に仕立て上げていく構図です。犯罪者には、三通りあります。
 刑務所いき、国家権力の殺人に加担させる、自爆〈自殺)です。今の権力構造を、きっちりとみとおし、闘ううえで、私は、トロさんに指摘される方法でしか、表現能力がないのです。今後、トロさんが、見本をしめしていただければと思います。
 20数年前ですか。「カッコーの巣の上で」という映画をみました。明るく陽気な青年〈患者)が、精神病院での民主的改革の先頭にたっていくストーリーですが、最後に権力(医師)によって、凄惨・非道なロボトミー手術をされて死に体となっていくのを、患者さんたちが怒りをもってみまもっていくというもの。もしかしたら、わたしは、この映画が今の私の原点でないか・・・とふと、おもいしらされました。
 余談ですが、いわゆる差別語というのも、私には、違和感があります。たとえば、「精神分裂症」を「統合失調症」にすれば、差別語でないのかと、いえば、そうではありません。らい病がハンセン病となれば、ものごとが解決するのでもありません。どうも、この世の流れは、ものごとの本質でなく上っ面のことばかりに拘泥した価値が流行しているようにおもいます。
 精神の病が今まで、偏見や差別にさらされてきた歴史があります。それは、作られたひとのこころであり、世間的価値観であり、権力構造です。石原氏が少数者(共産党攻撃も同じ)へのあからさまな侮蔑・差別発言をくりかえしているのもまた、同じ構造でしょう。
 だからこそ、わたしたちは、その言葉のなかに隠された意図をよみとるべきだし、そうした発言をゆるすべきでないことは、当然です。ただ、傍観して、権力者に身をゆだねる行為もまた、結果として、差別者の側にくみしていることになるのではないでしょうか。だから、こうした人たちにたいしても、矛先が向いてしまうのです。
 わたしは、精神病を患う患者さんを「狂人」とか「きちがい」だなどおもってもいません。身近に、みてきましたし、おおかた、こころに病をもつ人は、きわめて、人間的な感性豊かな人もまた多いようにかんじます。
 コイズミやイシハラ、ブッシュ、ブレアそのた、「民主的な国」の支配者層に、私は、おどろおどろしいほんものの狂気をかんじますよ。