長崎での幼児誘拐殺人事件の犯人は、12歳の少年であった。この子をB少年と呼ぶ。すでに神戸のサカキバラ事件との類似性が指摘されているが、私も同感なので、神戸のA少年につらねて、今回の犯人をBと呼びたいのである。
Bは、被害者を裸にしたうえで、殺害しているので、この事件は、性犯罪である。Aの場合も性犯罪であった。性犯罪の特徴の一つは、犯行が執拗に繰り返されることと、犯行が次第に残酷なものになっていくことだ。なぜだろう?執拗な繰り返しは、理解可能だ。なぜなら、性のダイナミズムには、周期があるからだ。性欲が高まることに周期性があり、高まりの解消行為が、周期的に行われることになる。が、次第に残酷になって傾向は、私には、理解不可能だ。サデズムやマゾヒズムは、知識の範囲内のものに過ぎない。
さて、筆坂事件にも、性犯罪特有の上記の傾向があったはずだ。まず、執拗なセクハラの繰り返しだ。酒の上での只一回だけの行為であったはずは無い。執拗に、何年にもわたって繰り返されたことであろう。次に、次第に残虐になって行ったのか?多分そうであろう。彼のここでのサデズムは、多分、権力的なものになったのだろう。
B少年と筆坂の行為は、どちらも性犯罪である。この手の犯罪の原因は、性に対する無知にある。フロイドもつぶやいたように、われわれは、リビードという野生馬にまたがっている。この馬のコントロールは、性教育に尽きる。ソフト面では、多くの識者が言うように、性的しつけにある。そして、識者が指摘できない要素が、ホルモン学であるハード面だ。
Bと筆坂には、ハード面の教育が必要である。両人の違いは、Bには教える必要があるが、筆坂は自分で学習すべきだ。その能力のある人間が、これをせずに来たこと、そしていい年をして性犯罪にでたことは、もはや許されないことである。