7月3日付の、鎌倉太郎さんの投稿を読んで、すぐヤフーニュースを検索して見てきました。
すでに志位委員長が禁酒令(ではないのだけれど)を撤回したニュースが載っていました。
共産党では1970年代に何かしらの飲酒トラブルがあって、そのとき自宅外での飲酒を制約する規定を作ったみたいですね。
その規定を今また持ち出して、徹底させようとして内外から反発を受けたようなんですが…
結論から言えば、そういう規定・ルールで自宅外の飲酒を制限してしまうのは、私も賛成しかねます。
ただ、志位さんが「セクハラの再発防止の一つとして飲酒の問題を述べたのは間違いだった」とまで言ってしまったのは、私としてはちょっと…
これって文脈的に、「筆坂氏のセクハラは飲酒とは無関係」ということになってしまわないでしょうか。
おそらくは「酒を飲む自由を奪うな!」という反発が、凄まじく強かったせいで、必要以上に撤回してしまったように感じます。
私は筆坂氏のセクハラの場合、やはり飲酒が最たる原因だとしか思えないんですけども。
私は、飲酒をルールで制限するやり方ではなくて、「飲酒トラブルが発生する仕組み」という「情報」を、衆知徹底させるべきだと思います。
その仕組みについては、6月26日付の投稿で書いたので、ここでは詳しく述べませんが。
簡単に言えば、アルコールが脳の「理性を司る分野」をマヒさせてしまうことから起きます。
ですから、飲酒トラブルの難しいところは、「飲んだ後からでは完全に回避できない」という点なのです。
この危険性については、本当に衆知徹底させないとまずいと思うのですが。
例えば、外でお酒を飲む前に、あらかじめ「飲んだら車に乗らないぞ」と思っていたとします。
しかしアルコールで理性がマヒしてしまえば、「やっぱり電車賃がもったいない、後で車を取りに来るのも面倒くさいし」という欲求の方が、勝ってしまう可能性があるのです。
その結果、飲酒運転をして、何事もなければ表沙汰にはならないのですが…もし事故でも起こしたら?
筆坂氏のセクハラだって、本人は素面の時には「セクハラなんてしないぞ」と思っていたはずなんです。
もしここで、飲酒の問題が深く追求されないようならば、筆坂氏は「無駄死に」になってしまわないでしょうか。
私は、この「飲酒トラブルが発生する仕組み」という知識が一般化してないために、筆坂氏のセクハラが素面のセクハラと、同列に扱われているように感じます。
もちろん、飲酒の結果であってもそうでなくても、セクハラの罪は同じなのですが。
ただ、素面のセクハラは完全に人格の問題ですが、飲酒のセクハラは人格の問題とは、ちょっと別のところにある、と私は考えています。
お酒の問題を深く掘り下げないと、筆坂氏の人格を否定する見方が定着したまま、事件が落着してしまうのが、私としては残念です。
共産党の責任のある方々が、お酒を飲むことに何の危険性も感じていなければ、きっとこの種のトラブルはまた起きます。
それは確率としては低いのかもしれませんが、「当たり」が出た時には痛すぎる、ロシアンルーレットなんじゃないでしょうか。