夢を見た。
急峻な山々が影を落とす谷間の集落に
自分はいた。
斜面にへばりつく炭焼き小屋のような
小さな家に向かう石の階段の途中に
自分はいた。
家から男が出てきた。
風景に溶け込み、消えそうな
影の薄い男だった。
灰色の上下トレーナー、
焦げ茶のサンダル姿。
紺色の野球帽を深く、深く被っている。
一瞬見えた横顔。
「筆坂さんですね」
男に声を掛けた。
石段に並んで腰掛け、
対岸の尾根の向こうに沈む
夕日を眺めた。
男は、クシャクシャになった
ソフトケースの煙草を
ポケットから取り出し、
先の曲がった一本をくわえ、
火を付ける。
深く「フーッ」と息を吐き、
ゴホッと一回、せき込んだ。
「真実って何かね」
唐突に聞かれた。
返す言葉に迷い、黙っていると
男は続けて言った。
「俺にとっての真実は
人に語ることのできない、
己の記憶のことだよ」
男に聞いてみた。
「世の中は、あなたを
誤解していませんか」
男が一瞬ほほ笑んだように見えた。
何かしゃべる腹を決めたのか
ごくっとつばを飲み込んだ。
わずかに唇が動く。
しかし、
男は言葉を飲み込み
再び、押し黙った。
もう一度聞いてみた。
「真実を伝えてください。
党も、世間も
よってたかって
あなたを傷付けている」
男は、右手の斜面を振り返り
はかなげに並ぶ墓石を指さし
「あそこに入ったら話そうか」
と言い、妙に明るく笑う。
両目が潤んでいた。
墓石の前から、
線香の煙が一筋上がっていた。
不思議な夢から目覚め、
朝、新聞受けから赤旗を取って広げると
「常任幹部会の見解」なる記事が
目に飛び込んできた。
「筆坂同志は事実関係を認め…」
「議員辞職は当然…」
直情的な、抑え切れぬ怒りが湧いた。
新聞を丸めてごみ箱に投げ捨てたが
飽き足らず、
もう一度拾い直し、台所の流しで
火を付けて燃した。
この夢を見て以来、
筆坂さんを信じることにしている。
それも、確信を持って。