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創価学会員Aさんへのお手紙

2003/8/19 長壁 満子、40代、金融

 私の投稿に対して、7/29日付で、たいそうなお褒めをいただいて、恐縮しておりました。
 あの頃、私は、どん底の状態でしたので、過分な賞賛にびっくりしておりました。
 言葉を発しても発しても、手ごたえがかんじられない、まるで、雲をつかむような状況のなか、悪法だけは成立し、戦争の臭いだけは、濃密になっていくばかりの日々、とてもつかれていましたが、そんな私にAさんのエールは、はげましでもありました。
 さて、私は、仕事柄、お客さんのなかでも、学会のかた、公明党のかたが幾人か、いらっしゃいました。ここ周辺でも、隣近所結構多いようです。
 ですが、なかなか、主義主張、党派を超えて共通認識をもつところまでいきません。猫がお世話になるBさんも、とてもいいかたですが、戦争賛成の公明党さんを肯定するわけにはいきません。
 先日、猫の件をきっかけに、戦争論をはじめたのですが、生き物への共感は共有できるのですが「猫も死んだ方が幸せかもしれないよ、苛められてかわいそうだもの」といった結論? に、なってしまいました。
 「学会の方々を通じて、いまの戦争の動きに声をあげていただけない?」とお願いしましたが、「だめだめ、みんな、自分のことでいっぱいだもの。人のはなしなんて、よせつけないもの」とおっしゃいました。
 話は変わりますが、反共ビラの件、反共攻撃など、新聞紙上及び実際に目撃した選挙運動など、わたしには、今ひとつ、いえ、全く、こうした良いかたの所属する創価学会・公明党のことが理解できませんでした。
 ただ、組織力はすごいものがあり、なにかしら魅力があるのであろうと、共産党もみならうべきものがあるのでは・・・と、おもったりしたものです。  友人の勤務する銀行には、毎年、一定の時期になると、多額の寄付があつまるとか、小銭を何万と持参される高齢者のかたがいるとか、よほど、その信頼(信仰)は深く、おおきなものであろうとおもうばかりです。
 共産党に対するものとは、なにか決定的にちがうようです。
 ですが、何度考えても、わからなかったことが、最近わたしは、薄ぼんやりと、分かったような気がしてきました。それは、共産党に加入して、5年?たち、さざ波に参加して、いずれも、一枚岩でないということでしょうか。
 愛や命、人間革命であろうが、社会革命であろうが、結局そうした信仰や綱領は、お題目であるということでしょうか。信仰や綱領は、本来その所属とする最も大切な基本であるのでしょうが、日々の営みの上にくるものではないということ。お経を口ずさみ、綱領を理解したところで、現実生活とリンクしえないものは、「絵に描いたもち」にすぎません。
 ましてや、現実おこなわれている、過酷な殺戮。人間の愛と命に真っ向から対立する勢力に、対極として存在感を発揮できない、あるいは、むしろ、裏切りともいえる逆の勢力に絡め取られる。そして、その矛盾を追及できない。お題目は、一層、お題目として完璧に孤立していく。
 共産党員も、公明党員・学会員も、今の日本の資本主義下、そのお題目から自立できうる真のコミュニストあるいは宗教者の姿からは、程遠い実態である限り、党派の枠内で腐っていくしかない・・・そんなことをかんがえてしまいました。
 一年ほど前までは、さざ波にもあるイメージがあったのですが、いざ身近にみてみると、まるでごった煮。それはそれでいいのでしょうが、気になるのは、共産党の原理・根本、それがたとえお題目であれ、綱領に根ざした理念は、理念として細々とでもかがやいていたはずです。それが、一部のかたは、全く無視され、憲法と同じく、現実勢力からみた解釈論にすりかえてしまいます。
 党として因って立つべき綱領は、今や解釈憲法と同じような運命にあるようです。
 なんだか、グチになってしまいましたが、Aさんのような方が学会員としていらっしゃることを希望に、わたしなりに、また、対話に挑戦していきたいとおもいます。Aさんも、どんどん、さざ波で論を展開していただけませんか。