投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

自覚的に考えることの重要性

2003/8/6 ぽっぺん、30代

 未来派さんの8月4日投稿を拝読致しました。未来派さんの疑問「どうして変革をめざすひとが離れていくのだろうか」はもっともだと思います。他稿でも触れましたが、共産党も人間の集団ですので、「会社でいつも部下をどなりつける上司」や、「俺の言っていることは絶対に正しい」みたいな人がいるのはむしろ組織としては普通の事です。党はこうした人たちの言動を「官僚主義」「命令主義」として厳しくこれを戒め、人間的であたたかい党を創ることを掲げています。しかし、こうした心無い人たちの被害に会う人たちにとっては「党を止めるかどうか」の深刻な問題になります。この時、周りに相談できる人がいなかったり、相談しても機関などがマトモに取り上げなかったりすることがあると、それはもう悲劇です。私はこのようなことが党のなかで起きうるということは悲しいことであると思います。こうした問題と、「党の上に個人を置く」(旧い言葉で言えば『ブルジョア個人主義』か)ことは私はおのずから別の問題として考えたいと思います。
 何故、こうした問題が起きるのかを「民主集中制の欠陥ゆえ」と、短絡的に結び付けて攻撃する反動イデオローグはさておいて考えてみますと、共産党員といえども党に入る迄の数十年間のそれぞれの人生を徹底した競争主義の資本主義の論理の支配の中で暮らしているわけですから、党に入ったその日から『われら青春!』よろしく、何でもわかりあえる、というわけにはいきません。むしろ今迄の自分の価値観と共産党の考えかたの違いに「カルチャーショック」を受ける方が普通ではないでしょうか?「抑圧され、疎外されてきた」人格が「共産主義的人間」の人格に変っていくことは容易ではありません。中には一生かかっても変えられないという人もいるでしょう。そうした人が指導的立場になればどういうことが起きるか?世間では逆に阪神の星野監督みたいに怒鳴ったり殴ったりする指導者が「優れた指導者だ」なんてもてはやされているわけですから、自分が官僚的な指導をしていることさえ気がつかずにいる人もいるくらいです。「共産党に期待して」入ったのにこんな人にあったら失望して人知れず党から去ってしまう人がいることは残念なことですがありうることです。・・・(文字化け?)・・・
 未来派さんの周りにこうした問題で悩んでいる人がいたら、あたたかく声をかけてあげて下さい。また、「官僚的」な人がいたら具体的な事実を指摘しつつ、その人を攻撃するのではなくみんなの問題として考えてみてはいかがでしょう?
 党の呼称問題ですが、この時はソ連の崩壊に動揺した人々が、マスコミなどの攻撃にも影響されて「共産党の名前をかえろ」とか「民主集中制を放棄せよ」とか、いっているのをみみにしました。この時党は「共産党」いう名前の由来を歴史的に解明し、そのうえで日本共産党という党名は、絶対主義的天皇制と侵略戦争に命がけで闘い、「ソ連や中国の覇権主義と闘ってきた日本国民の良心の宝」だとして、誇りを持ってこの名前で国民に呼び掛けようと全党に訴えました。これは全党に新たな確信と勇気を呼び起こし、「体制選択論」や「共産党抹殺」攻撃といったイデオロギー攻撃を撃ち破る力になりました。
 丸山氏の問題は「侵略戦争をとめることができなかったのは共産党にも責任の一端がある」とし、共産党や侵略戦争に命がけで反対した人々の闘いの意義を事実上否定するという丸山氏の見解に対する批判でした。
 丸山氏の論点の問題点は、侵略戦争に反対する闘いが少数で困難な闘いであったにもかかわらず、実は当時の日本社会のなかでは国民のタ数の心情と良心をあらわしたものであったこと、そしてそのことが軍国主義の敗北と崩壊、戦後の一定の民主化につながる巨大な役割を果たしたことを見ることができない観念的な歴史観に氏が陥っていることでした。この見方は決して共産党の手前味噌ではなく、いみじくも、侵略戦争に全く反省のない自民党が、かつての党員むけの教科書に記されていた「共産党は他の政党が解散するか戦争に協力する中で、ひとり戦争反対をつらぬくという道徳的権威を持った党」と評価しているように、侵略戦争を推進した流れを汲む勢力からも一致した見方なのです。
 もし、丸山氏の議論が正しいとするならば、反ファシズムの人民戦線やレジスタンスの闘いも「ナチスの侵略戦争をくい止められなかった」ということで責任を求められてしまいます。
 党がこの問題に詳細に反論したのは、史的唯物論の立場を曲がりなりにもとっていた丸山氏の見解が、大きく変質したことにとどまらず先に述べた重大な歴史観の変更と、階級闘争そのものの否定につながるという性格を持っていたからです。