日本には「我が身を抓って人の痛さを知れ」と言う言葉があります。
拉致被害者も家族も気の毒だと思います。
であればこそ、在日朝鮮韓国人の痛み、悲しみ、怒りをわが事として受け止めなければならないのではないでしょうか。
朝鮮人の問題は過去のこと、拉致は現在のことで次元が違うと言う人がいます。果たしてそうでしょうか。
強制連行(まさに集団拉致)をし、強制労働で死なせ、従軍慰安婦で辱め、その償いをいまだにしていないばかりか、現在も差別と迫害を続けている、それでも過去のことと言えますか。
日本が、朝鮮戦争でアメリカ軍に基地を提供し、北朝鮮攻撃に加担したのは紛れもない事実であり、その戦争は38度線で休戦してはいますが、いまだに終わっていない、それでも過去のことですか。
植民地支配の清算も終わっていない、朝鮮戦争も終わっていないとすれば、北朝鮮にとって日本は、いつアメリカと一緒に攻め込んでくるかもしれない危険な国なのです。
拉致事件はそういう中で行なわれたのです。平和な時期に行なわれた国家犯罪、などと寝ぼけたことをいっているのは、集団的痴呆症、健忘症にかかった日本の側だけです。
世界的には、数千年前の事件が原因で紛争が続いている地域がたくさんあります。在日朝鮮人の方々が、報復行為もしないで平和に暮らしてくれていることはありがたいことなのです。それに対して嫌がらせをしたり、爆弾を仕掛けたりするなどもってのほかです。
拉致問題や、北の核問題を解決するためには、過去の清算と国交の確立が避けることのできない課題であり、それを避けてきた日本政府こそが非難されるべきなのです。
国交と日朝の交流は、金正日体制を助けることになると言う主張はまったく逆だと思います。日本の反北朝鮮キャンペーンこそが金独裁を支えているのだと思います。