微力ながら我々は、「罪なき人々=子供、女性、老人、NGO人道支援者、報道関係者、反戦活動者等非戦闘員の命、健康及び財産が損なわれることのないように」と米英のイラク戦争(先制攻撃)に反対しました。戦争(武力攻撃)は、いつも一瞬にして問答無用でこれらの人々を犠牲にするのです。だから反戦行動をとるのです。
このことは、無差別テロに対しても同様のことが言えます。国連に対する考え方は色々ですが、今回のバグダッドの国連本部へのテロ攻撃でも、現場には様々な人が出入りすることがあると思います(罪なき人々もいるのでは)。自爆テロ行為者(全イラク民衆を代表しているのか?)の心情には理解するも、いかなる理由があろうと、罪なき人々(民衆=同胞、味方である人も含む)をも犠牲にする無差別テロは、極めて自己中心的であり断じて許されるものではない。 罪なき人々、支援者や味方を犠牲にして誰が喜ぶのか。
反戦運動の拡大のためには、多くの国民が自分の気持(イラク戦争反対)を素直に行動に移せる雰囲気づくりが必要だと思います。「米英の武力攻撃は反対だが、無差別テロは理解できる」では、は「テロ行為容認」と国民に誤解を与えかねず、我々の反戦運動の隊列に入りにくくなるのではないかと思います。従来より、共産党系(さざ波含む)は、「無差別テロ糾弾」のアピールが弱く国民から誤解されているのではないかと感じていましたが、反共攻撃をうち負かす意味でも一層のアピールすべきだとおもいます。