最近の赤旗の紙面や、中央委員会の決定にたいして、評論的な解説で終っているな~と感じる事が多いのです。
綱領問題についての中央委員会の討論も、せいぜい字句訂正程度の意見しかありませんでした。
端的にいえば、経営組織の役員会(特殊法人や協同組合組織ならば常勤のみの理事会)等と同じような運営になっていると思うのです。
何が同じか?常勤役員にとって組織の中枢の方針に反対することは、自らの生活基盤を失うことになりかねません。
まして共産党の常勤役員が組織から排除された場合の生活上の困難は、国家権力側からの攻撃と、昨日まで味方であると思っていた人達からの組織的な疎外を考えると想像に絶するものがあるでしょう。
意見の違いで排除はしない、といっても自己規制が働いてしまう条件にあると思うのです。
人間はおかれている環境、条件によって思考や行動が規定されるのは当然ですから。
私のように党費を払ってはいても、党組織が経済的な基礎ではない党員は、会議で発言するのに自己規制も何も感じません。
先ずはもっと広く自由闊達な大討論会を赤旗紙上でもやるべきでしょう。
いまどき中央委員会、しかも少人数による常任幹部会が無謬であるというような前提では世の中から離れてしまいます。
イラク特措法にしても、共産党中央委員会が日本の平和と憲法の危機を、党内外の総力をあげて国民に呼びかけた局面は少ないと言うより、無いに等しかったと思います。
広く国民に具体的な取組みを必死に提起する点が欠けているのではないでしょうか。
大事な局面で、一人でも多くの国民にミニ集会や、署名等を呼びかけるため奔走すべき党幹部が、チュニジヤから帰国した不破さんを、飛行場までぞろぞろそろって出迎えに行き、その写真を赤旗の一面に掲載する姿。
私には異様に写ります。
中央委員会を含めて各機関の構成について、会社の上司と部下の関係のような狭い形態ではではなく、国民に深く根ざした意見や活動が生きる組織にするには うーん。