2003/8/6 ぽっぺんさんの意見につきまして
前半の部分には異論はありません。(ただし、民主集中制とは関係なく発生する問題だと思います。そうした問題を少なくするには組織にフィードバック機能が働いているかという問題だと思います。)
丸山真男批判が党大会で決議されたとき、共産党の戦争責任が社会的に問題になっていたのでしょうか。わたしには唐突感がありました。当の論文が発表されて30年もたった20回大会当時になぜこのような問題が持ち出されるのか。特定の見解が意図的に党に持ち込まれたのではないか(そうでなければ、理由が見当たりません)、その場合、そうした見解を無批判に受け入れていいのかという疑問です。
また、丸山真男批判は『日本共産党の七十年』にありますが、『日本共産党の八十年』からは消えています。どうしてなのでしょうか?説明が必要だと思います。
先に書きました「日本共産党」の呼称の問題も党の見解を問題にしているのではありません。どういう過程で決まったのか、民主主義が充分に機能しているのかという立場から問題提起をしているのです。
新日和見主義につきまして、わたしは彼らは敵だったのだろうか?と疑問をなげましたが、敵ではなかったと思っています。
(丸山真男につきましては、岩波新書『日本の思想』を読むと、「本来、理論家の任務は現実と一挙に融合するのではなくて、一定の価値基準に照らして複雑多様な現実を方法的に整序するところにあり、従って整序された認識はいかに完璧なものでも無限に複雑多様な現実をすっぽりと包みこむものでもなければ、いわんや現実の代用をするものではない」(60ページ)現実に対する断念があり、その零れ落ちていくものに対するいとおしみが伴っていると、理論に対する倫理意識を書いています。
共産党の戦争責任も、そうした姿勢から前衛党に謙虚さを求めたもので、戦争責任を追及したものではないと思っています)
2003.8.9