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連帯実現の担保と民主主義

2003/8/10 ecologos、30代、自由業

 相変わらず(ヤミ)金融ビラが電信柱などに貼られている。こんなもの、一人一人がはがせばなくなるではないか。
 市民が社会的責任を主体的に果たしていないという意味で、まったく民主主義が機能していない。
 わたしはふだんから剥がしているが、誰も連帯してくれる様子がない。
 あえてゴミだしのおばさんの目の前で電信柱から剥がしてみせた。「ごくろうさんですねぇ」と神妙にあいさつされたが、その後、電信柱の状況は変わらない。
 連帯は社会の原理ともいえますが、日本人は、このように、連帯が実現しない状況をつくり、また見せ付けられてしまっている。
 少年の喫煙とそれに対する大人の無対応も同様。これ以上の教育効果はありません。
 これが現代日本の民主主義の現実。民主主義の劣化と連帯の瓦解が悪循環を起こしている。だから、だれかが他人の分まで社会的責務を担わねばならない。
 ウナギ犬さんが指摘されるシュプレヒコールの「上意下達」は、このことの現われなんでしょう。
 民主主義を機能させるためには、連帯の実現例を見せ付けなければならない。連帯実現の担保としての前例が必要なのだと思います。
 少なくとも共産党員、さざ波読者には、このビラ剥がし、お願いします。通勤・通学途中などにできることです。警察官増やしたくない方は、なおさら。