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一般投稿欄

昨今巷で流行るものーーカラス、救急車、自衛隊機

2003/8/17 長壁 満子、40代、金融

 明け方4時、5時ごろから、ヵア~ ヵア~ とせつない泣き声がきこえる。ときに、夕方はもちろん、夜半1時、2時でも・・こどものころきいた鳴き声とは違い、明らかに異変をかんじるものだ。
 ちかくの公園では、人家の入り口まで、歩き回り、泣いている。
 私は人間であろうが、いきものであろうが、ひもじさに苦しむ姿をみたくない。辛い泣き声はききたくない。
 なのに、最近の風潮といったら、自分以外はどうでもいいといわんばかりである。自分の視界から消えさえすれば、ことは解決するとおもっているのか、野良猫にしても然り。
 先の、長崎の少年事件でもそうだが、本人もいたずらにあっていたとか、また、犬などを虐待云々ともかいてあったが、問題が生じたとき、かならず、弱者差別が根っこにある。強者が弱者を支配し、弱者はより弱者を虐待するという構造。
 こどもは、大人社会を見本にするものだ。他者への思いやりは、自分への愛があってこそ、うまれるのではないか。また、小さなものへの、慈しみは、実感があってこそだろう。
 ある日、突然、カラスのエサを奪い、ある日突然、猫を捨てる、こうしたオトナの身勝手さのゆきつくところは・・・
 なんでも、埼玉の某市では、猫掃討作戦が行われようとしているらしい。人間が勝手に捨てた猫が増えたとかで。
 心ある市民の方が、インターネットで訴えていらっしゃったが、市長は、ぜひとも、真人間として、対処していただきたい。およそ、人間らしくない方向へ方向へと向う風潮のなかで、せめて、人間的市長の存在をかんじさせてもらいたいものだ。
 カラスにしても、猫にしても、少年の事件にしても、これ、すべて、ツケがはねかえるものである。非人間的な対応を見て育つ子ども、市民、の気持ちをあなどってもらいたくはない。
 カラスだって、餓死寸前の苦しみともなえば、何かを襲うのである。いつか、「猫の赤ちゃんをくわえていった」と、こどもが、涙でうったえたことがある。
 自然界の掟といった次元でない、人口的な生態破壊である。そのうち、人間が襲われないともかぎらない。
 また、救急車、一日、何件になることか、多いときで、7,8件。通常、3,4けんは普通である。ころりころりと人が死んでいくのだろうか。年間35、000人、公のものだけでこれだけの人数である。日本では、毎年おおきな戦争が実行されているのとおなじこと。大量破壊兵器ならぬ経済破壊兵器で、速やかに、人が処分されていく。しかも、自ら処刑台にのぼるのである。
 最後に、いよいよ、きなくさいのが、実感できる、自衛隊機。共産党区議会にファックスしても、しらんぷりである。最近は、区議会便りもこなくなった。めんどうくさいことや、党に直接関与しないとなれば、逃げるというのは、いかがなものか。こうしたところが、なさけない。肝っ玉が小さいということか。今こそ、ほんとうに、出番だというのに。他のかたも言われていたけれど、ほどほどに甘んじたいのか。
 「終戦記念日」という言い方も、いかにも、戦争の本質から逃げているような印象である。もう少し、ジャーナリスチック精神をとぎすましてもらえないか。「共産党だけが戦争に反対した」等と、自ら繰り返す感覚が情けない。