私は、ハーグ陸戦法規に愚鈍で、「軍服の着用の有無」といった幼稚な論点で侵略者を弁護する議論を嗤う者である。しかし、「男女共生」「ジェンフリ」の馬鹿馬鹿しさには更に、それ以上に嗤うものである。
いつのまにか、「女性専用列車」なる巫山戯た列車がつくられ、今まで慣れ親しんできた「看護婦」の名称が「師」になってしまい、ついには「慎吾ママのおはロック」すら槍玉である。ここまでいけば、文化大革命の紅衛兵なみに暴力である。幼稚な言葉狩りに終止する有様である。なぜ、「保母」「保父」が差別なのだろうか。それならば「母子手帳」も駄目なのか。「母性」「父性」も駄目なのであろうか。今には「ヨイトマケの唄」すら攻撃するのであろうか。
私はクォーター制度に反対する者である。私が尊敬する小笠原貞子さんは自分が「女性」である事を何ら「自慢」などしなかったのである。まして、「クォーター制度」など言わなかったのである。
女性は女性であるし、男性は男性なのである。私はどうやったって弟の「お兄さん」にはなれないし、私の弟はどうしたって私の「妹」にはなれないのである。まさか、浴室を「男女共用」にはしないでしょうし、まして「男女共同トイレ」「男女共用更衣室」などを作る者はいないだろう。
もし、本当に「男女共生」をいうならば、「女性専用列車」など無くすべきである。「クォーター制度」など言うべきでない。
しかし、私は絶望などはしない、。なぜならば多くの読者が幼稚な「軍ヲタ」以下の侵略者弁護論の馬鹿らしさに気がついたのと同じく、「ジェンフリ」「男女共生」のアホらしさに気がつくであろう。