朝鮮画報というグラビア誌をご存知でしょうか。60年代、民医連病院の診療待合 室に常備されていた雑誌です。中学生の私が見たものは、ソウル市内の、一本の水道 に群がる長い行列。片や千里馬に光輝く農村,工場、学校等。民族学校は次々と建設 され在日朝鮮人は民族の誇りを掲げ、差別と偏見とに満ちた日帝、前世代の人々の目 前に、ビルを築き、財を成し、銀行を作り、同じく輝いていた。朝鮮焼肉では客が来 ないから炭火焼肉にする、とは当時、在日の老人から聞いた話です。そんな中、四谷 のモランボンは米倉さかねを使ったテレビコマーシャルで、懐かしい朝鮮の味、と当 時からやっていたと記憶します。私は川崎の強制連行の街で高校までを終えました。 なぜ強制連行の街ということが解ったのかということについては、大学時代、毎日新 聞社発行の在日朝鮮人、韓国人という特集をまとめた書籍によってでした。その本一 冊まるごとその地域で生きる人々を取材し、もちろん私と関わりのあった人も登場し ていました。中学時代から朝鮮問題は空気のように体に吸い込まれていったと思いま す。独立記念日等には、街のあちこちに朝鮮の国旗、韓国の太極旗がはためいていま した。赤旗紙上に載る朝鮮は社会主義の国として紹介され,韓国の韓には括弧がつけ られていたと思います。言葉を注意した日本人に対し、日本語上手だったら朝鮮人じゃ ないと反撃した老婆を笑いながら涙が出そうになったこともありました。