長壁満子さんは、私が発した問にはいっさい答えず、今度はイラク戦争の討論欄で、一般市民や非戦闘員(公務員・企業の労働者)を殺傷する目的のテロ犯罪を肯定する主旨の議論を展開しています。
この人に戯画的に見られるテロ容認の非理性的な情念・感情論は、
○アメリカ・イスラエル・西側諸国政権が民衆を抑圧しているのが原因なのだから「反米・反イスラエル・反西側」を掲げたテロであるなら、一般市民が殺傷されようが非難してはいけない。
○我々の敵、はアメリカ・イスラエル・西側諸国(権力者・強者)であり「敵の敵」であるテロリスト犯罪者集団は味方(に近い存在)である。
というような、テレビゲーム的な、失礼ながら幼稚としか言いようのない見方を開陳しています。だから、テロ容認論者は、イラクシーア派市民やインド・ロシア・アフリカ・東南アジアの一般市民へのテロについては、口をつぐみ、ただアルカイダのような犯罪者集団を称揚するというグロテスクなことになるのです。
「テロリストを攻撃する」と言って、実際には一般のパレスチナ市民の住居を破壊し、素手で抵抗する子ども達に発砲し殺すのと、テロリストが一般市民を不特定・無差別に殺していることとは、その行為の質はまったく同じであるという、普通の市民感覚(コモンセンス)から見れば直感的に理解できることが、テロ擁護論者にはわかりません。
もっとも問題なのは、日本共産党や左翼の中に、自分たち「非抑圧者の側の正義」という政治目的のために、テロを行うことをも合理化・容認するという恐ろしい政治主義が存在することです。この政治主義は、長壁さんのように
>テロをみなさんが、無差別、無差別とオーム返しにおっしゃるが、無差別など、一 度もない。9・11も軍のペンタゴンと、資本の富を象徴する貿易センタービルであ る。イスラエル人1000人の働く、米国資本傘下の多国籍会社のあるビルである。
などというとんでもないテロ合理化を臆面もなく書いて恥じないところまでいくわけです。
長壁さんが触れていたチリでも、クーデター後のピノチェット軍事政権のもとで、「反共」という正義の名の下に多くの市民がテロと軍事裁判のもとで虐殺されました。それに抵抗する労働者・市民は、けっして一般市民を無差別に殺傷するようなテロ行為を行いませんでした。中国人民解放軍もベトナム解放戦線も、戦場にあってもゲリラ戦も戦いましたが、一般市民を殺傷するテロ行為を肯定したりすることはありませんでした。だからこそ、彼らはどんなに犠牲が多くても勝利できたのです。逆に、たとえば南米諸国の左翼ゲリラの中には、一般市民の誘拐・麻薬売買を行ってきた組織があります。その末路はどうなっているでしょうか。
スターリニストとファシスト、つまり個人の生命の尊厳を理解できない全体主義者は、本質的に同じことを行うわけです。
それから、長壁さんは
>9・11に犠牲になった全ての人々、そして、自爆テロ実行者の死を悼む。
と書いています。もし「死を悼む」意が口先だけでないのなら、なぜその死をもたらしたテロ行為を否定しないのかが問われます。
パレスチナでは10代の少年を自爆テロ実行者に仕立て上げられる例が頻発していますが、またテロ非難をすることで「裏切り者」のレッテルを張られ共同体から排除される状況の中で、実行者の親たちは、「私の息子をかえせ!なぜ幹部の息子が自爆攻撃をやらず貧しい息子たちにやらせるのか!私を殺してから子ども達は自爆テロを行いなさい」等の悲しみ・怒りの声をあげています。
もちろん、イスラエル軍部・治安部門が意識的に不法行為を行い、パレスチナの若者の怒りを生み出す現実をつくってきたわけですが、それを利用してテロリストを仕立て上げる思想・組織の犯罪性は明白です。そのような思想・組織が民衆の運動を混乱させ、憎悪を増幅させていることはいうまでもありません。
日本においても、スターリニスト、左翼全体主義者のテロ容認思想が政治的な力をもって、北朝鮮国家テロ等のテロ活動を弁護・許容したり、民主主義を破壊することのないように気をつけたいものです。