お返事痛み入ります。
さて、不審船の問題に対する分析、感心致しました。
事実は、12月の荒海にて銃撃を受け沈没した、停船命令を無視した不審船の報道
でした。
しかし、私の情報によると事実は別だと思われます。事実は、この不審船を最初に
発見したのは誰かという問題につきあたります。実際には、不審船の行動は出港と同
時に、米帝の軍事衛星によって監視されていたのです。
皆さんは、過去不審船の対応で日本が一度も船に近づくことさえできなかった事実
をお忘れでは無いでしょう。それは、あまりに危険なので接近することを憚っていた
ことと、圧倒的に高速で就航する不審船に近づくことさえできなかったからです。
それが今回、何故接近し攻撃を試みるまで大胆な行動を取らせたか。
事実は、米軍のバックアップがあったからです。当該海域において、何故迅速な逃
避行動を不審船は取らなかったのか。
実は、当該海域に米軍は潜水艦部隊を展開していたのです。さらに、軍事衛星を補
完するP2C電子偵察機を上空に配備していたのです。当然、我が北朝鮮軍も不審船の
護衛として潜水艦を同時行動させていた訳ですが思わぬ潜水艦部隊の展開で航路を阻
まれる状況になっていたのです。
そこへ、米軍から通報を受けた海保が登場した訳です。そして、不審船報道が行わ
れる前に、護衛役の潜水艦は米軍の戦術戦闘機からの機雷攻撃により撃沈。不審船も、
米軍の潜水艦からの魚雷攻撃によって撃沈した訳です。さらに、海上に放り出された
乗員は、米海軍の特殊作戦チームにより何人かは捕らわれた模様です。
しかし、世界一残虐な彼らが、拷問によって北朝鮮の戦士達から機密情報を聞きだ
そうとしたのも明らかです。従って、存命した戦士達も米軍の基地の中で闇に葬られ
たのも今や明らかです。
さらに、本国北朝鮮でもこれらの残虐行為を座して看ていた訳ではありません。
敵からの攻撃を受けているとの連絡を受け、北朝鮮空軍からはミグ戦闘機3機が緊
急発進したのです。
しかし、日本海上空には当時、アメリカ本土から飛来したB1爆撃機が2機哨戒活
動中であり、その2機のミサイル攻撃を受けミグ戦闘機は撃墜されてしまったのです。
そして、事態がここまで深刻になり全面戦争になるやもしれない危機に陥り、北朝
鮮軍幹部も緊張の極みとなったとき、偉大なる金正日同士将軍が無益な世界大戦の危
機を招かないため、北朝鮮軍のすべての報復行動を停止されるという大英断を下され
たのです。
従って、過日日本海で起こった、米偵察機への北朝鮮空軍のロックオン事件は、こ
のような金正日同士将軍への感謝の念の無い米帝への無言の批判なのです。
以上述べたように、実際の事件はスケールも犠牲者の数も報道されている問題とは
大きく異なることを述べておきます。
寄らば大樹の陰さまは、日本赤軍はどう思われますか?
労働問題については、確かにあなたの仰る通りですね。もう一ついえば、各産別労 組といわれるものは、何故包括的に雇用問題に取り組んでこなかったんでしょうね。
しかし、北朝鮮に関する論は、私には60年代、70年代のアジ演説と何ら変化無
いものと感じられます。我々の世代には、懐古趣味にしか写らないし、その後30年
以上経過した上での変化が感じられないのです。確かに、70年代には胸躍る論でも
ありました。世界同時革命論等、声高に語られていたものです。しかし、実際には革
命など起こらなかったし、保革伯仲も結局は日本のしくみを変えるまで至りませんで
した。こうなれば、共産党が武装蜂起を諦めて合法政党化の道を歩んだのは正解だっ
たんでしょう。その後、ソ連崩壊、中国の変化など目に見える変化はかっての垂直思
考ともいえる左翼思想が、間違いであったことを証左するように見えます。さらに、
だめ押しのように起こったのが、「拉致」問題です。薄々、北朝鮮に対して感じてい
たことが、白日の下に明らかになったのです。
ここにいたり、「左翼」的思想に対して、深刻な疑問が日本国中に溢れているのだ
と思います。勿論、かっての「左翼」シンパ的人々の中に。
私は、もはやことここに至っては、「左翼」的なるものは、リストラクチュアリン
グするしか無いと考えます。しかし、完全にうち捨てることも、もったいない話だと
思います。
具体的には、「拉致」問題はその試金石だと考えますが、それは、あくまで、付随
的なことであり、大半の「左翼」と無縁な被害者・国民に対しては充分な整合性のあ
る論と支援が必要だと考えます。