40年前に、すでに現在の北朝鮮を見抜いていた人がいました。1962年に出版された、関貴星著『楽園の夢破れて-北朝鮮の真実』-という書物が有ります。以下に著者の略歴を記します。
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著者略歴 関貴星(旧名 呉貴星)
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1914年12月
韓国全羅南道順天市に生まれる
1930年(16歳)
順天の農業補修学校でストライキを首謀し、特高に捕まる。
1946年2月~1947年5月
在日本朝鮮人連盟岡山支部経済部長
1951年9月~1955年4月
日本共産党岡山県委員会民族対策部財政委員
1951年7月
日ソ協会岡山県支部連合会理事
1951年11月
関貫一郎同籍ウシエの養子縁組。日本人籍となる
1955年6月~1956年5月
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)岡山県本部議長
1959年7月
朝鮮総連中央本部財政委員
1959年12月14日
帰国第1船が新潟港から出航する
1960年8月
8.15朝鮮解放15周年慶祝訪朝日朝協会使節団参加、当時45歳
1962年
『楽園の夢破れて』出版
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1986年
72歳、失意の内に死去
1997年3月
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会編『楽園の夢破れて』
復刻版出版
この略歴に有る様に、在日1世で日本国籍を取り、日本共産党の地方幹部を経て、朝鮮総連中央の幹部にもなった人が、すでに40年前に「現在の北朝鮮」を見抜いていたのです。
かれはこの経歴が示すように決して反共ではなく、ただ北朝鮮と朝鮮総連のウソを告発したのです。
まだ読まれていない人はぜひお読みください。
私はこの本を読んで非常に衝撃を受けました。私にとってなぜ衝撃的だったかといいますと、
一つは、日本共産党の中に在日がたくさんおられたことを知り、何十年も党員をやっていながらほとんどそれを知らなかったこと。
そして、戦後15年も経って10万近くの在日と日本人妻(夫)が北朝鮮へ帰ったこと。このとき少なからず日本共産党と党員が支援・協力したこと。
しかも、この事が歴史になっていない事、教えられなかったことです。党史には出てくるのだろうか? 調べてはいないが・・・。
なんといっても衝撃的だったのは、1962年の『楽園の夢破れて』の出版社が、かの反共売文だけを売り物にした「全貌社」(恐るべき民青年などを出版、その後倒産)だったということです。
このことがきっかけで、死ぬほど嫌な右翼の本にも目を通さなければいけないんだと思い始め、産経新聞にも初めて目を通す中で、日本で始めて北朝鮮の拉致問題を取上げたのが産経新聞であったことも知りました。
「敵を知って己を知る」という事でしょうか。真実は「赤旗」や左翼文献、古典だけでは分からない、という事でしょうか。つくづく考えさせられました。
それからというもの、アメリカに対しても左翼文献だけではなく、広く右から左まで読むように心がけるようになりました。その中にも非常に新鮮な情報がたくさんあることに気づき、自分の狭さを思い知らされている今日この頃です。