テロも戦争も犯罪も、これっきりにしましょう。
人が子どもが生き物が、殺されるのは、もう、こりごりです。これらのことをしなくても、私達人間は魚を食べ、牛や豚の命をもらい、無残な殺戮をしています。生き物の犠牲の上に、私達人間は、生かせていただいています。ですから、もう、これ以上、おそろしい傷つけあいはやめましょう。
テロ、戦争、これらは、すべて、犯罪です。犯罪者は捕らえて、裁きにかけて、その行為を中止させねばなりません。
公正な裁判の結果、その犯罪性が極刑に値するなら、日本の場合は、国家が代わって、処刑を執行いたします。
曲がりなりにも、個人の犯罪は、こうした過程、手続きがとられます。民主主義が機能する法治国家なら当然です。
さて、世界に目を転じてみると、テロ、犯罪がたえません。昼となく夜となく、どこかでテロそして犯罪、大きな規模の戦争がやられています。
日本もこの度、イラク戦争に憲法を踏みしだきながら、堂々と戦争にくわわりました。
一、日本はまず、憲法違反という形で犯罪をおかしました。法の上に鎮座する憲法が否定されたのです。日本国家は、国民に裁かれる立場になりました。
一、米国の戦争が国連を無視したヤクザ行為であり、その実態も、石油泥棒、国土汚染、人類抹殺といった強盗殺戮以上のホロコースト戦争です。
一、そもそも、米国の常套手段、恫喝・威嚇・挑発で、狙いをつけた小国をゆさぶりかけます。お得意のプロパガンダを駆使し、アメとムチ(武器援助・経済制裁・暴力など)で、手なずけて、恐怖をテコに最大動員をかけます。
一、アフガン、そしてイラク戦争
先のアフガンでは、2002年、2月の時点で28、000人の民間人の死者(うち子供は1万人)でした。この度のイラク戦争も、2万人以上あるいは、3万に達するともいわれています。これらは病院での死、戦場での人肉のかけらからわかった最低限のデータです。
なぜか赤旗はアフガニスタンでの民間人の死を三千人としています。2001年、12・25、同紙には、「米軍のアフガン空爆、市民3767人が犠牲」とし、米研究者報告をのせています。しかも「米軍がアフガニスタンへの空爆を開始した10月7日~12月20日までの期間の市民の犠牲をまとめたもの」で、報告では、また被害が拡がっているとあります。9・11の犠牲者にあわせたのかどうかしりませんが、赤旗のこうした、視点に、私はがっかりします。そして、アフガニスタンでの、米軍・多国籍軍のゲリラ兵士の犠牲があいつぐなか、テロリスト・タりバーンを批判してみせます。この件は赤旗に訂正記事を載せてもらうよう連絡しますが、いままでの経緯ですと、無理かもわかりません。赤旗には差別の視点が歴然とありますから。
中村哲さんにいわせると、アフガニスタンは平時は農耕などにかかわる男たちは、他者の侵入時には鍬を武器にかえて民兵になる習慣のようです。自警団のようなものかもしれません。ということは、赤旗は、反アフガニスタン、新米としてタりバーン批判をしてみせたということです。そういえば本音は、アフガン攻撃は、容認でしたっけ?
そもそも、カブールは傀儡政権です。5%以下の土地、人口(米国から傀儡人がどれだけ侵入しているかわかりませんが)、もともとのアフガニスタン人は、ほんの数%かもしれません。アフガニスタンの復興だなんて、真っ赤な偽りなのです。
アフガニスタンもイラクも、そもそも、戦争なんて、したいわけではなく、タリバン政権は、ソ連侵攻をアラブの戦士(ビンラーディンは21歳でかけつけた)と民兵で追い出した後、続く内紛に嫌気がさしたビンラーディンはこのとき、故郷で建設の家業をてつだっています。
’93~’95年頃、最もひどい破壊状態を憂えたタりバーンが登場し、治安の回復、国土復興などを目指し、ヨチヨチあるきだしたタリバン政権のもと、反タりバーン・北部同盟の陰がちらちらするなか、国連の経済制裁という処刑が断行されました。もちろん米国の意図です。1999年のこの年、大干ばつで100万人が飢餓地獄になるかというときでした。世界にアピール(牽制)としての大仏破壊、2体の大仏破壊は、雨乞いの儀式、仏像などの盗難など、モラルの退廃などを憂える意味もありました。こうした、文化遺産の一部は、なぜか、アメリカの博物館におさまっています。
ともあれ、世界にセンセーショナルにつたえられたこの大仏破壊は、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」という、イランの映画監督・モフマン・マフマルバフの著書として有名になりました。ですが、「石仏は崩れ落ちることで、瀕死にある国を指さした。だが、誰もそれを見なかった。愚か者はあなたが月を指させば、月でなくその指をみる」のです。
この著書を購入してから、映画「カンダハール」を観ましたが、あまりにも表面的なカンダハールの描き方に、違和を感じましたが、訳者であった渡部良子氏の指摘が心をつきました。下記に引用。
「ここに広がっているイメージのないアフガニスタンの不気味な光景は、アフガニスタンの国と人びとの現実の姿などではない。苦しみに対する想像力の欠如のあまり、膨大なアフガンの人びと飢餓に瀕するにまかせていた、わたしたちの心の内面そのものの姿なのだ」
一方、「映像を通したイメージは、距離や国境を飛び越えて人びとに訴えるかける一方、恣意的な切り貼りや加工をほどこされ、権力や強者に利用される都合のいい道具になるものだということを、彼は知り抜いている」と、モフセンを紹介します。
狭義の意味では、テロを起こされるのは、国際社会。
犯罪がおきるのは、国内社会。
国際テロを右手で根絶しながら、左手で醸成するのが、アメリカ・国際社会です。
石油やら天然ガス・ダイヤモンドを狙う大泥棒の西側諸国。追随する日本。国家と言う錦の御旗を掲げれば、「何でもあり」のミンシュ主義。独裁戦争も、犯罪国家に加担する国連(この自覚もないのが今回の悲劇を招いた)も、ホロコーストであれ何であれ、正義の戦争となり、人道支援組織となるのですから・・・・・
その挙句、アフガニスタン・イラクの怒りはイスラム世界に拡がり、パレスチナの憤怒はアメリカとイスラエルに照準があてられます。目前で繰り広げられる蛮行に、世界が観て見ぬフリをするなか、イスラムの怒りと、その怒りを利用する米国とイスラエルが混入し、テロの深層は底なし沼のような様相を呈します。
果たして、皆さんとマスコミと、どちらが真相にせまれますか?
そうそう、イラクのフセインは、寸前まで、米国が本当にイラク戦を実行するとはおもっていなかったようです。タリバーン兵士の何人かは、空からの猛空爆に狂ったように泣き叫んでいたとのこと。こうした現場をみれば、いかに、食べるためとはいえ、押し付けの「ブッシュ大義」など吹っ飛ぶというものです。
アフガンでもそうであったように、また、米兵、多国籍軍などの、精神病患者の増大、また、劣化ウラン弾の被害者が多発することでしょう。
こうした現実をきちんとみれば、戦争遂行者の小泉自民も、公明も、保民主党もすべて、一切、落とすべきなのですが、現実は、なぜか、そうなりません。理由は、戦争の本質、実相がわかっていないからです。北朝鮮バッシングがなんのためになされているか、少なくとも、ある勢力に絡め取られているかと言うことがわかれば、これほど、倒錯した意味不明の投稿はなくなるであろうと思います。
子どもは、徴兵されたら、「自殺するか、イラクの人たちとともに戦う」といっています。我が子の命とこころが危うくなる国の流れに、いつまでも、流され続けるこの国の民をみて、私は最近、宇宙人になったようなかんじがします。