川崎市の小学生の作文集に「煙突の街」と記憶いているのですが、その中で朝鮮に帰還した兄弟の幸福を信じて、書かれたものがありました。当時は支部と言ったと思われますが、民生のセンターに上野で催される物産展のポスターとチケットを持って朝青の男女がおとづれたことも、中三で民生に加盟した当時の不思議な記憶としてとどまっています。その後は、党員の誰に聞いても知識を得ることのできないまま、法政大学の、確か鎌倉先生との覚えですが。紀行記を読んで、「泥棒のいない国」、「深夜、公園のベンチで街灯の下、読書をするうら若い女学生」などの記述に、社会主義に対する憧れを持ったものでした。数年前発行のファン ジョンヨブ氏による回想にも、その記述が見受けられます。短い期間でしたが。、ピョンヤンから荻原氏の送る記事「社会主義に生きる」も拝見しました。朴政権終了後、戒厳令の解けた翌年、関係者に無断ながら、ソウルに旅しました。解らないから行ったのです。街は軍隊だらけでした。大学では学生と軍隊の睨み合い、地下道に集結するデモ隊を予測して、開口部はすべて固められ、デパートの入り口には、国防本部の看・・・(文字化け)・・・。