このサイトに実名で登場するかどうかで話題になっているようです。私は40年以
上も前に入党しました。党員でいる間は,私の名前は無くなり、ペンネームで呼ばれ、
記録されました。会議のメモなどを紛失する人がおり、防衛のためということでした。
しかし、それは同時に、党は実名である私には関知しないという意味があったようで
す。
あまり大きく報道はされませんでしたが、最近、ある支部長が酒に酔って、女性に
破廉恥な行為におよんだとして警察に捕まりました。逮捕容疑が免罪であったのか、
彼は党員であることを名乗り、証拠として会議メモなどを提出したそうです。警察か
らの問い合わせに、地区委員長は、最終的には彼が党員であることを認めたのですが、
最初は、そんな党員はいないと言ったそうです。まさか、地区委員長が警察にバレバ
レの嘘をつくとは思えません。地区委員長は、彼とは会議では会ったことはあるが、
実名を知らなかった可能性は多いにあります。ですから、顔と名前を一致させるのに、
時間を要したのでしょう。
つまり、実名をもった党員は存在しないのです。選挙で選ばれる各種議員や専従者
の方々は、例外として、実名を出しているのだと思います。それと、反党活動をした
として、除名された人の場合には、党員であったことを明記し、実名で公表するよう
です。これによって、意外な有名人が党員であり、かつ除名されたことを同時に知る
ことがありました。
ここで、宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」を思い出します。両親ともども
妖怪の世界へ迷い込んだ千尋は、この世界の支配者である湯婆婆によって、千尋とい
う名前を取り上げられ、千という名前で湯屋でこき使われることになります。生き延
びるために、自ら望んだ選択でした。
両親は無人のレストランに入り、勝手に料理に手をつけたために、豚に姿を変えら
れます。それを知った千尋は、両親を人間に戻すべく努力します。私も入党当時は、
自分は特別に自覚した人間であるとの思い込みのもとで、意識の低い両親や周囲の友
人たちを共産党へ近づけるべく努力したものでした。そのような人たちを豚に例える
のはまったく礼を欠くことではありますが、私と千尋の努力は何か重なってきます。
このペンネームの世界には別の思わぬ効用があります。つまり、「優秀な」党員ほ
ど、ペンネームの世界と実生活を巧みに遣い分けていました。私の職場は、公務員関
係でしたので、党員で管理職に就く人もおりました。そういう人ほど、二つの世界の
遣い分けが上手い人でした。二重人格と思えるほど、ペンネームの世界と管理職とし
ての実生活の態度が違うのです。
そういう人が支部の指導部になると最悪です。職場での彼の周囲はみんな特別権力
関係にある部下達との理由で、拡大や票読みはしません。つまり、党員として出きる
ことがほとんど無くなります。それで、党費の納入が支部としての最重要課題となり
ました。そんな支部の状態に嫌気がさして、十数年前に離党しました。
「千と千尋の神隠し」には、上で述べた以外にも、共産党を寓意していると思われ
る個所があります。貪欲ですべてを呑み込むカオナシは独占資本主義や帝国主義の寓
意ととれますが、それは、本質的な悪ではなく、己の業に苦しむ悲しい存在なのです。
そして、千尋の導きで、悔い改めます。改定綱領の描く帝国主義とはどんなものでしょ
うか。不破氏は、
綱領改定案では、いまのアメリカの世界政策を「アメリカ帝国 主義」と特徴づけ ています。これはたいへん根深いものです が、私たちは、この規定を永久不変の ものとは見ていません。 アメリカが一国覇権主義の世界戦略をすて、平和の国際ルー ル をまもることになれば、状況が違ってきますから。
と説明します。「アメリカ帝国主義」の改悛を期待するところは、「千と千尋の神隠
し」が描く世界と何か通底するものを感じます。こうなると、不破氏が湯婆婆然と見
えてくるから不思議です。
現在では、多くの人々が厳しい現実に目を背け、ひたすら癒しを求めております。
宮崎駿はその優れた芸術的センスでこのような状況を的確に捉え、癒しを与えるアニ
メ映画をヒットさせたと思います。共産党もこのような状況を感じ取り、あのような
メタメタの癒しの綱領改定になったのでしょう。ですから、「千と千尋の神隠し」が
共産党の世界を寓意しているように見えるのは不思議ではありません。しかし、その
ような綱領改定が、科学的社会主義の立場から正しいものか否かは、大いに議論する
必要があると思います。