「テロ」とひとくくりに言うけれど、あなたが言うテロとは何なのですか。それを
明らかにすべきなのではないでしょうか。「悪法も法である」式の支配が行われてい
るときに、その法をぶち破る手段が実力闘争、暴力的手段しかないとすれば、弱者は
被支配階級は実力で支配をぶち破るしかない。その関係が非和解的であればあるほど、
無血革命などはあり得ない。そのとき和解を叫び、暴力反対を叫ぶ人は結局のところ、
結果として支配階級に与することになる。
では翻って、その法を平和的に取り除くことができるだろうか。悪法が法なのだか
らそれは治安維持法的な体制擁護の法と、圧倒的な警察力・軍事力等の暴力装置に支
えられていることだろう。
あなたは「そうじゃない。私は暴力にテロに反対と言うだけだ。無差別に市民を殺
すな。非戦闘員を殺すな。」というのでしょう。
そうです。どこの世界の市民なのですか。どこの非戦闘員なのですか。あなたはベ
トナム戦争さなかの侵略戦争で空前の好景気におこぼれに預かる日本国民・市民がベ
トナムのゲリラを非難したのに似ている。私はアルカイダのやり方をまねしようとは
思わない。しかしタリバンやアラブの「自爆テロ」を敢行する彼らに対するのは強大
な国家・アメリカ帝国主義であり、そのアラブ支配の番犬であるイスラエルであるこ
とが分かります。
今生活しているパレスチナ人を着の身着のままに追い出すイスラエルの植民者は銃
を持った敬虔なユダヤ教徒の一般市民とか、非戦闘員とかです。植民地の支配者はい
つもシビリアンコントロールの帝国主義者でした。今、それとどれだけ本質的に相違
した状況なのでしょうか。イスラムの怒れる人々にとって、「制服」を着ているかど
うかが問題なのでしょうか。イラクではかいらい政権をコントロールするのは非戦闘
員の文民であり、官僚であり、国連職員もその一端を担おうとした状況だったと思い
ます。
自国が経済制裁などに始まる侵略戦争を仕掛けておいて、圧倒的に弱い相手が必死
の反撃のミサイルを撃ったら、自国の侵略戦争を非難せずにあなたはやはり無差別の
市民を撃つなと言うのだろうか。そのときのあなたはどういう市民なのだろうか。侵
略国家を「テロ」反対の名の下に擁護する市民なのだろうか。北朝鮮への経済封鎖と
いう戦争行為が始まったらこれは現実のこととして、私たちにどういう立場をとるの
か突きつけられることでしょう。神の国に住む市民ではなくて、地上に住む市民なら
ば真っ先に帝国主義の強大な暴力に反対すべきなのではないでしょうか。