私が中学性だった頃、兄の友人の梅田さんとよくキャッチボールをしたことを思い出します。
体格がよくて球が速く、ひ弱だった私は「僕もああなれるかなー」とあこがれたものです。しかしある時より彼はパッタリ姿を見せなくなった。
少し経ってから兄に「梅田さんどうかしたのー」と聞いたら兄は何気なそうに「あいつは朝鮮だったんだよ、北朝鮮に帰ったらしい」と答えたのです。
それから既に40年以上経過している、今、梅田さんがどうしているのか、生きているのか死んでいるのか何の情報もない。
寡黙で慎重派だった梅田さんが、その体力を生かして今も北のどこかで暮らしている事を望むだけである。
そしてこの事を思い出す時、同じ頃子供仲間で流行った囃子言葉を時折思い出して身震いします、それは中学校で英語を習い始め発音が気になっていた事と重なるのですが、「ゴジュチェンソンシータ」でした。
これを朝鮮語だと囃し立てたのですが、これはまさしく関東大震災で、デマに煽動された民衆が、朝鮮人やそれと思しき人を捕らえ発音の難しそうな言葉をしゃべらせ、「こいつはおかしなことを言う」と決め付けリンチ虐殺した、その時の言葉の一つなのです。
それが「敗戦」と言う大きな壁がありながら、親から子へと連綿と引き継がれていたのです。
私の久しく訪れていない田舎(故郷)でこの言葉がまだ生きているとは思わない、しかしその頃はまだ子供の間で、何の意識もないのに「チヨーセン」、「チャンコロ」という言葉が生きていた。
「歴史」「庶民の体験」はそれが正であれ負であれ、きちんと整理反省され、清算されない限り、継続されてしまうのです。
私たちはよく自嘲的に「人の噂も七十五日」等と言います、じっと我慢すれば何でも忘れられてしまうと思い込もうとしています。
しかし歴史はそんなに甘いものなのでしょうか?
このところの北朝鮮報道を見るに付け「本当かな?」と思う今日この頃です。
(ついでに)韓国では日本以上?に美空ひばりさんの歌に人気があります、私にはよく判らないのですが、韓国の人たちにとって彼女の濁音の部分は他の日本人歌手にはない素晴らしいものがあるそうです、みんなCDやテープが擦り切れそうになるまで聞きほれています。