>安保闘争で父殺しの快感を経験した日本人には、朝鮮民族と言うものは理解の範疇 を超えています。
朝鮮民族に限らず、異民族の理解には困難が伴うのは、当然のことではないでしょ うか?朝鮮民族の側から、すれば血の繋がりの無いものを養子として迎え入れて、血 縁の建前のもとで血族関係を維持する、世界で「唯一の擬似血縁共同体」=「日本」 は、理解困難しょう。
でも困難だからこそ理解の為の努力が必要ではないでしょうか?
理解が困難だからといって、「理解の範疇を超えている」というのは、「異文化コ ミュニケージョン」という言葉が一般化している21世紀に生きる人間として、相応し くないと感じます。