連日、一歩間違えば国民感情の面で憎しみを増幅させてしまうような反北朝鮮とも受け取れる一方的な報道が取り沙汰されている。
連日、拉致問題や核開発問題など、人権問題に対して、また、一歩間違えば世界を誤った方向に導きかねない北朝鮮の国家姿勢に対する懸念を新聞各紙やTVニュースなどのメディアは大きく報じている。
はたして『正しい報道』とは、いかなるものか?
そもそも『正しい伝え方』とは何だろう?
何をもってして正しいと言いきれるのか?
何が正しいか?
一番単純で判りやすいのが比較によるものだろう。
どちらが正しいか?もしくは、どれが一番良いものか?
例えば、一つの事象に対しての組織Aの見解と組織Bの見解によるものの比較をしたとする。
この場合、党員や信者など、組織に所属している人間の落とし穴である間違った力が働く場合がよくあるようである。
当たり前かもしれないが、普通に考えたときに、自分が当事者であった場合には、洗脳されたとまでは言わないものの、大勢の人間が自分の所属している 組織の見解を第一に押すだろう。
AはAの、BはBの立場を尊重する(しやすい)という事である。
これは組織の機関紙なり新聞の色なりによって、情報というものを主に一部の部分によってのみ得ている事に起因する事だと思う。
AはAの機関紙より、BはBの機関紙よりという具合だ。
これも当たり前だが、Aの機関紙はAの正当性や信念・理念を持って書いてあるものであり、Bも同じくBのそれをもってして書いてあるもののはずである。
もっと掘下げれば、AとBが反目関係にあった場合、AはAのメリット・Bのデメリット(デメリット的な解釈)、BはBのメリット・Aのデメリット(デメリット的な解釈)といった内容を公表する。
例え反目側にいくら良い部分や特筆すべき部分があったとしても、立場上からは大げさに取り扱ったり、誉めたりはしないものだ。
このように、情報の操作とまでは行かないが、機関紙というものは書き手の意思によって自分の側を有利に書けるという事だ。
メディアというものは性質上、偏ってしまうと非常に危険な力を持つ。
これは、ただ現在のマスコミのあり方だけに当てはまっている性質のものではない。
これは個人的には、機関紙などを発行する団体に向けての懸念がある。
外国の方や、そういった方に近い思考を身につけられた日本人の方からは幼稚だと批判されるかもしれないが、私は少なくとも色々なものの考えに触れて見る。
上記の過ちを防ぐためである。
一つの団体のみに所属し、その理念を学び、信念を持ってその姿勢を貫くという事は決してしない。
いくら信念を持って、その組織の理念を学習し身につけていても、この間違いは多くの組織に所属している人間が無意識のうちに犯しているだろう。
全国板はどうか知らないが、TVの県内ニュースでも(私は新潟県在住)、最近のマンギョンボン入港に関しては蓮池さん・横田さん夫妻などの拉致被害者などの訴えと同時に、在日朝鮮人の方のコメント(親戚などに自由に会いに行ける事は至極当然の事だと思うと仰っていた)、この二つのものを同時に取り上げていた。
私個人の感想としては、片方のものだけを取り扱わず、むしろ問題提起になっていると思った。
こういう報道、伝え方をしてもらえれば、それぞれの立場について考えられる。
確かに拉致問題などの重要な問題はあるのは無視しできない、しかし、北朝鮮側(あらゆる意味で)とて、それに関わっている人間がいて、そういう人の中にもそれぞれの立場があり、その人にも人権や理不尽な風当たりに対する悩みは当然あるのだ。
これを組織の人間が見たらどう思うだろうか?
前に取り上げた力と偏った知識のせいで、硬化させて考えてはいないか?
確かに、ただ色々な浅い情報に踊らされるだけの一般の側にも非はあると言えるのではあるだろうが。
何日か前の投稿で、マンギョンボン号入港・出港に際して、自国民のため食料を運んだり(確実に届いているかという問題は別として)、親族などに会いに行く自由を阻害するような行為は人権侵害ではないかと仰っていた方がおられた。
それとはまた別に、貨客船という立場を利用してミサイル部品などを不正に持ち出していたという証言も出ている。
この二つは、どちらも的を射ていると思う。
少なくとも、どちらが正でどちらが邪だという事柄ではあるまい。
それが仮に「私はこちらの立場だからこちらを支持します」という人間がいたら、はたしていかがなものか?
そんな信念・思想なら捨ててほしいと言いたい。
例えば、こういうものはどうだろう?
人体の体の中で二つの部分を取り上げたとする。
そのどちらが優れていて、どちらかを否定しなければいけない。
『A心臓派』vs『B脳派』
A「心臓は、これこれこういう働きがあって人体にとってはとても重要な~」
B「イヤイヤ、脳のほうが重要な期間だ!その訳は何々理論で実証できる~」
評するまでもなく、ただ滑稽である。
この場合のAとBを国や組織に置き換えてみた場合、どうだろう?
あえて名は出さないが、どちらの側も、もう少し大人になれと言いたい。
機関紙・一般誌も含め、報道というのは、真実さえもコントロールできる危険なものである。
もしも全くの真実を表すならば、報道する側の事情など差し挟まなくともよいもののはずだ。
人に聞いた話だが、マインドコントロール治療には、そのものと正反対の性質ものとを交互に理解させるらしい。
お互いの立場(特に反目側の)を、正確に、かつ偏見なくして察する事により、反目組織イコール悪!というイメージによる偏った見方が収まっていくのだそうだ。
確かに一部では謀略など根も葉もないデマの報道もあるとは思うが、そういうものを見ていると、西武ライオンズの松坂投手の言葉を思い出す。
一時、写真週刊誌のスキャンダルに対する取材をされた時に、同僚か何かの人間が記者かカメラマンに対して静止しようとしたそうだ。
しかし、彼は「この雑誌のカメラマンの人も、この仕事で賃金を得て家族を養って生活しているんだから、好きにさせればいいじゃないか」と止めたそうである。
沈黙は金だ。
ただデマを非難したり憤慨、もしくは嘆いてばかりいないで、こういう心を持ちたいものである。