曙光のきざしさんは 「それと、総連&工作員のパワーをどう減少させるかも大事だと思います。 しかし、『右翼的な人』も含めた活動、いいですね。人間には、行動の目的が大事ですね。」と、主張されているようですが、あなたの言動を看過できなくなりました。
朝鮮総連のパワーを減少させるとはどういうことですか。
ただでも、民族差別や排外主義の渦中にいる人々ですよ。
公務員になれない、選挙権が無い、住居の移転も「外国人お断り」とのことで制限されている、、、
詳しくは知りませんが、就職差別だってあるでしょう。
ひょっとして、朝鮮総連は北朝鮮の「大使館」と勘違いされているのでは?
日本側に強制連行された人々、またはその子孫の連合体ですよ。
北朝鮮サイドは在日朝鮮人を「日本国内の在外公民」とみなしているようですが、キム体制を批判することと、排外主義の落とし穴にはまることはわけが違います。
腹いせの方向性がおかしいと断ぜざるをえません。
私が金体制をキム体制とよぶのは、金を gold や money と区別するするために、便宜上つかっているだけです。
念のため。
正確さの判断はあなたにおまかせしますが、朝鮮総連HPから以下の文章を引用しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~強制連行
日本は植民地支配の初期から、働きざかりの男子と幼い少年少女まで「人夫斡旋」「職業紹介」など各種の名目で日本に連れて行った。
とくに大陸侵略と太平洋戦争の時期には、戦時労働力の供給不足を打開するため朝鮮総督府が直接のりだし、「官斡旋」という名目で白昼公然と、 野良仕事や通行中の男子をむりやりトラックに押しこむなど、文字どおりの「朝鮮人狩り」をおこない、朝鮮人強制連行政策をおし進めた。
そして1938年5月に「国民総動員法」を、1939年10月には「国民徴用令」を、1944年8月には「一般男子に対する徴用令」「女子挺身隊勤労令」を公布、施行して、朝鮮同胞を日本各地の軍事施設や軍需工場、鉱山など危険な作業場に連行し、牛馬のようにこき使った。
日本当局は、1939年から1945年までのあいだに日本に連行した朝鮮人労働者の数は72万4000余名になると発表(「日本人の海外活動に関する歴史的調査」朝鮮編第9分冊)しているが、歴史学者たちはこれを否定し、ゆうに150万名をこえると指摘している。
いっぽう、日本は「徴兵」の名目でも、朝鮮人を日本と東南アジア、南洋諸島、サハリンにまで連行した。
日本は1938年2月に「朝鮮人陸軍特別志願兵令」を、1943年11月に「学徒兵制令」を、1944年4月には「徴兵制」を公布、施行して、朝鮮の青壮年を「志願兵」「学徒兵」「軍属」として侵略戦争の場に追いやった。そればかりか、年端も行かない娘まで「挺身隊」の名で日本軍隊の慰みものとした。
最近、発表された日本当局のきわめてひかえめな資料によっても、日本軍隊に強制徴集された朝鮮人の数は24万2000名に達している。
概略的な推算によると、36年間の植民地支配時期に、各種の名目によって狩りだされた朝鮮人の数は、なんと500万名にものぼっている。