この人はよほど歪んだ眼鏡をかけているに違いない。拉致被害者の手記をこれほど自分の主張に都合よくねじ曲げてしまうとは。
起承転結に沿って文章を読解する普通の国語力の持ち主なら、地村さん夫婦の言いたいことが最後の結論部分、すなわち長壁氏自身の引用した、
「しかし私自身、拉致問題は戦後に起きた国家犯罪であり、北朝鮮が拉致事実を認めた以上、早期解決と謝罪があって当然だと思う。まして家族の帰国問題は、人道上の観点から考えても、無条件、即時実現されるべきである。」
にあることは、容易にわかるはずである(「そもそも・・・とも受け止められる。・・・しかし、・・・」という論理構造である)。
すなわち、地村さんの言いたいことは、拉致という国家犯罪を行い、かつそれを認めた北朝鮮は、被害者に謝罪して無条件・即時に家族を帰国させるべきだということである。この発言が、こうした国際法的にも人道的にも当然の要求を今なお実行しない北朝鮮への強い非難を言外に含んでいることもまた、容易に理解できよう。
そのことは、「24年間の空白」についての痛惜の思いや「何度も死にたいと思った」という箇所、あるいは「拉致現場を見たとき言葉では言い表せない憎悪感がこみ上げてきた」という表白からも明らかである。
にもかかわらず、長壁氏は次のように言う。
>私が最初、拉致帰国者への同情を寄せることにひっかかりを感じたのは、こうした地村さんの「拉致の悲劇を問う」姿勢が一切封印された、世論の異常性へであった。日朝の歴史に起因することは誰の目にも明らかなのに、故意に隠蔽し、まるで、狂った個人が犯罪を犯したごとく、北朝鮮を攻め立てる。挙句は国家犯罪である、テロであるといったブッシュのシナリオにまんまと乗せられ、唱和する人々。・・・
ここには政治的イデオロギー的に凝り固まった人が、いかに人間らしい感情を枯渇させてしまうかが示されていて、悲しみさえ感じられる。これは、「原因を問わずに無差別テロ非難を言うべきでない」という姿勢についても感じることである。
平和な日常生活から突如暴力的に拉致され、24年間も生死不明・音信不通の状態で独裁国家の監視下の生活を強いられた被害者が、奇跡的な生還を遂げたのである。なぜ素直に同情を寄せることができず、「ひっかかりを感じる」などということがあるのだろうか。被害者の帰国を感動をもって迎える世論が、なぜ「異常」なのであろうか?
おそらく、この人にとっては、中国残留孤児の最初の大量帰国の際の世論の大きな関心も、薬害エイズ被害者や強制隔離されたハンセン病患者の悲劇にマスコミと世論が大きく沸騰したこともまた、「悲劇を問う姿勢」を欠いた「異常」なものなのであろう。
しかし、世論は何よりもまず想像を絶する被害の巨大さに驚き、沸騰するものだ。これは純粋に人道的観点によるものであって、人間としてごく自然の反応である。原因の追及や真相究明は、その後に取り組まれるのである。
地村さんの手記の「拉致の悲劇を問う姿勢」なるものは、いわば起承転結の「転」の部分であり、あえて言えば、あまりに不条理で取り返しのつかない被害を受けた被害者が、自らを少しでも納得させるためのロジック、あるいは日本政府の解決責任を示唆したものであろう。
長壁氏は、「国が絡んでいるときに、地村さんでない私達日本人が、自国の政府を飛び越えて、拉致した北朝鮮をのみ、汚い言葉でバッシングし、煽りたてるのは常軌を逸した行為である」とも言う。
しかし、まさに「国が絡んでいる」ブッシュの侵略行為を口を極めて非難しているのはこの人ではないか。日本にいるアメリカ人に矛先が向くからアメリカバッシングをするなとは、まさかこの人も言うまい。
北朝鮮の国家犯罪に対する非難と在日朝鮮人差別、有事法制は全く別問題であり、拉致被害者を支援する多くの良識ある人々はそのことを十分理解している。
要するに、反米イデオロギーに凝り固まった立場でしか物事を見ることができないから、このような偏った思考になるのである。