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日の丸・君が代の本質が露呈し始めた共産党はどうする?

2003/10/24 寄らば大樹の陰、50代、苦闘するフリーター

 東京都教育委員会は「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国家斉唱の実施について」の通達をだして「国旗は舞台壇上正面に掲揚」「教職員は国旗に向って起立し、国歌を斉唱する」と打ち出し更に教職員の服装や日の丸の掲揚の仕方、国歌斉唱時のピアノ伴奏など事細かな指示を出し、従わない職員は処分すると明確化した。
 日の丸君が代が国旗・国歌と制定されて以降、現場の良心的教職員はありとあらゆる手段と工夫、そして時には物理的手段を持って闘い、抵抗して来た。
 その為、少なからずの教職員が様々の処分を受けてきた。
 更に闘う部分に対しては右翼勢力による銃撃などの理不尽な攻撃が仕掛けられている。
 この情勢の中で、日教組が、そして全教がこれら攻撃に屈服し、さすがこれまで「東の国立・西の広島」と言われた闘う人々の戦線も残念ながら若干後退を強いられているのが現状であろうと思う。
 しかし、イラクに戦後初めて本格的な軍隊として自衛隊が送り込まれると言う今の厳しい情勢は、逆に「日の丸・君が代」に対する闘いが真に、要求されていることを示している。
 戦後教職員・日教組が真っ向から掲げた「教え子を再び戦場に送り込まない」質を持つ闘いが今こそ必要なのだ。
 あの国歌・国旗法が制定された時、その先導役を果した日本共産党の行為は、私たちに対する裏切りに等しい反動的役割を果した。
 それは今回引退を発表した、野中広務が盛んに発した「日の丸・君が代は強制しない」との弁明と同罪である。
 国際化社会が進み在日韓国・朝鮮児童の他に、ニューカマーと称される中国やアジアそして欧米系の外国籍児童が増加する環境の中で、戦前のアジアの人々の血に染まった日の丸や天皇家賛歌の君が代を強制することが許される筈もない、日の丸君・が代は排外主義的な国家意思の強制でもあるのだ。
 この前韓国を訪問した時、「建軍記念日」とも重なってソウルのメイン道路の両側には韓国旗で埋め尽くされていた。
 確かに韓国旗(太極旗)は日本による朝鮮植民地支配時にも、闘う朝鮮・韓国民衆を見守り密かに掲げられてきた、人々の国旗であり心の拠り所の旗である。
 しかしその時、「これが日の丸であるならば自分は平静にこの中を通りぬけられるだろうか」と思い、そしてきっと無我夢中で日の丸を引き千切り、走り抜いただろうと思った。
 ユニバシァードでもその他国際スポーツの場で韓国・朝鮮の選手団は高々と朝鮮半島をかたどった統一旗を掲げている。
 建軍記念日だからこそソウルの町町が統一旗で埋められていたならなともその時思った。
 日本共産党は「日の丸・君が代についてももう法律として決められたのだから仕方ない」との態度だと思う。
 そして事実、私の知りうる限りでは、日の丸・君が代に反対している現場教職員の中には「全教」の人たちは殆どいない、今こそ、その反対の闘いが必要な時に悲しい事である。
 おそらくこのままでは来年春の卒業式、入学式には抵抗する教職員には厳しい処分が襲い掛かり、または不適格教員として処分され、そして今はまだ三脚等で隅に置かれている日の丸や、君が代のテープでの演奏も許されなくなるだろう。
 子供達を、教育の現場を守るのは全て、私たち大人がいかに考え闘い抜くかにかかっている。
 来年の闘いの準備にすぐ取り掛からねばならない、そしてその先にはこの前かろうじて勝利出来た「つくる会教科書」との闘いも待ち構えている。
 私たち労働者自身による勝利の旗、深紅の旗が打ち立てられるのは何時の日だろうか?
 それにしても「日の丸・君が代」に対する日本共産党の責任は重いものである。