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衆議院選挙について。「国民がスポンサー」

2003/10/29 ウナギ犬、30代

 公示日も過ぎ、選挙の議論が活発になっているようなので、私も参加したいと思います。
 私は、衆議院選挙は確かに重要なことだと思っていますが、「勝てなければ終りだ」「絶対に負ける事は許されない」という論調は、好きではありません。
 頑張っている党員の方々や、後援会の方々をあざわらうつもりは全くありませんが、現状では共産党の躍進は難しいだろうな、と考えています。
 私は、共産党が躍進するためには、「勝つ事」とは別視点の運動が必要だと考えています。

 私は、今の平均的な日本人の、政治への無関心・無参加こそ、悪政や政治腐敗の根源だと考えています。
 ここまでは、同じ考えの方々が共産党の中でも多いのではないでしょうか。
 しかし、その対処法が私から見ると、非常に問題があると思います。
 それは、例えば私の母親などもそうなのですが、「もっと共産党の政策を知ってもらおう」という方法にこだわる事です。

 国民に「政治に参加してほしい」と呼びかけるのに、その入り口が「共産党は正しい」では、絶対に運動は広がらないと確信しています。
 国民に政治に参加してもらうためには、もっと中立的な立場でなければダメなはずです。
 「もっと共産党の政策を知ってもらおう」というのは、言いかえるなら「共産党の布教活動」そのものでしょう。
 布教活動を強化して、なぜ政治全体への関心が強まるのでしょうか。
 宣伝される側(政治から遠ざかっている人間)から見れば、より警戒心を強めることになる、と思います。

 また「共産党の正しさを知ってもらおう」という方法論では、結果的に、国民の「政治に対して楽をしたい」という姿勢を助けることにもなると思います。
 「何が正しくて、何が間違っているのか」は、一人一人が判断するもの、個々の責任が問われるものでしょう。
 税金が何に使われ、法が何者のために作られるのか、しっかり監視するのが国民の義務であると信じています。
 でも、その義務や責任を問う事なく、「共産党が正しいから応援して」というのは、国民や支持者に盲信を要求しているのではないでしょうか?

 「我々共産党はこういう政策を打ち出しています。それが守られているのか、そもそも正しいのかは、あなた方が責任を持って監視して下さい」と言えなくては、ダメなのではないでしょうか。
 支持者に対し求めるべきは、「無条件の支持」ではなく、「我々の行いをしっかり見張っていてください」という監視である、と私は考えています。

 私は、そういう国民の義務や責任を要求する運動こそ、政治意識を高め、民主主義のレベルを高める事になってゆくと思います。
 その時になって初めて、共産党が躍進できるだろうと考えています。
 逆に言えば、現状での共産党の躍進は、非常に困難であると思います。
 時の首相が「企業献金は一概に悪とは言えない」と公言し、何も非難されない世の中で、企業献金を受け取らない共産党の意義が認められるのは難しいと思います。
 政党や政治家にとってスポンサーがどれほどの意味を持つのか、それが問われる世の中になって、初めて共産党の意義が認められるように思います。

 余談ですが、私は共産党の「国民が主人公」というスローガンは、全然イメージアップに役立ってないと思います。
 それは、その文章自体には「国民のために頑張ります」という程度の説得力しかないからです。
 企業献金を受け取ってないことを前面に出すなら、私は「国民がスポンサー」の方が断然良いだろうと思います。