皆様、ご丁寧なご返答ありがとうございます。
まず、私自身何の理論的な勉強もしていないことをここで告白しておきます。従って、私の投稿は只々直感に頼ったものです。
頭をかすめたのは、最近の動物愛護の考え方です。動物園という動物の管理の仕方は、最近では個々の動物の自由を奪い、個々の動物の自由な生活を奪う展示の仕方ではないか、という議論があるようです。ですから、これからは保護区を設け、できるだけ自然状態を覗き見するような接し方が正しいのではないか、という議論です。
勿論、小さな子供達が実際の動物を見ることができたり、傷をおったり群からはぐれたり、やむを得ない事情の生じた場合の動物園の役割を否定するものではありません。
だから、最近の動物関係のテレビでは、例え親とはぐれて死に至るケースでも、人間が関与せず冷静にカメラで写すような番組が増えている気がします。
それに対して、何という発言なんでしょう。北朝鮮擁護派は、拉致被害者に対して動物以下の扱いをしている!と感じたのです。
人間には、時として死を賭しても守らなければならない尊厳があると思います。
まず、資本論さえ通読していない私は、共産主義の何たるかを知りません。そんな私が述べるのも可笑しいんですが、最近、個人的にはマルクスは、単なる経済学者であり、それ以上でもそれ以下でも無いのではないか、と感じています。 つまり、マルクスは、アダム・スミスに続く者で、ケインズやフリードマン、ワルラス、コンドラチェフ等々と同格なのでは無いか、つまりマルクスとは、単なるツール(道具)或いは、スタイルなのではないか。
しからば、大事なのはマルクスの理論を学ぶのでは無く、あの19世紀の過剰労働の中で働いていた年端もいかない子供達、老人、売春婦達の苦境を、何とか改善できないか、と考えた、マルクスの気持ちが大事なのではないか、と考えています。
いわば、小説や詩や評論があるように、又はクラシックやロックや演歌やブルースがあるように、印象派、キュービズム、シュールレアリズム等があるように、スタイルは問題では無く、中味なんです。
表現の方法は様々ですが、表現したい核(コア)の部分が問題なんです。
この考え方で、スターリニズムは克服できないか、と考えます。つたない私の頭では、この程度しか思いつきません。参考まで。
でも、決して理論を軽んじようじゃ、ないですよ。音楽も、コードを間違えたら、ただの雑音ですから。
只、その核の部分が、正しく無いと感じることには、ノーを発言しなければならない、と考えています。
尊厳をかけて。
それから、大歩危さんもご返答ありがとう御座います。
でも、反米=左翼は、ちょっと違うんじゃないかな、とは思います。(誠に失礼なことを申し上げるんですが、ひょっとして、大歩危さんもこの文章を書きながら、ちょっと違うなあ、と考えられませんでした?)
実は、最近あまりにも、勉強しないで感覚だけで投稿することに若干反省しまして、今頃、本を読みました。萩原 遼氏の著作です。文春文庫で、出ていましたので。(昔から、経済的な理由で文庫本しか読まないものですから)90%以上、萩原さんの意見に賛成でした。
それで、考えたのですが、何故万景峰号に彼らが拘るか?ということです。
北朝鮮と往来するには、中国・ロシア経由の航空便があるのに。ひょっとして、在日の一般人が渡航するには、あの船でなければならない「縛り」があるのではないですか? 国全体が情報遮断された国です、総連を通じたルートしか在日の人々は往来できないように管理されているのではないですか?
例えば、重要人物のオウム真理教の早川等は頻繁にロシア経由で入国していましたから。まあ、想像なんですけれどね。