投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

対市民無差別テロへの態度がもつ現実的・実践的な意味(ecologosさんへ)

2003/11/16 N.K.、40代

 すでにこの問題は当サイトで十分に論じられていると思いますが、ご返事をいただいたので簡単に述べます。
 他の方の誤解がないように申し上げておくと、私(たち)が、問題にしているのは、アメリカ政府当局者者等が言うところの「テロ」一般についてではないし、イスラエル市民に対する「パレスチナ側」(?!)(一部勢力)の無差別テロに限定しているのでもありません。
 さて、ecologosさんが「(無差別)テロ非難が盛り上がることでテロが収まるはずもなく、それどころか、思考停止した日本人は易々とブッシュの対テロ戦争の構図に取り込まれてしまうでしょう」と言われる点は首肯できません。
 第一に、市民・非戦闘員への無差別テロについて論じることの実践的意味は、自衛隊のイラク派遣が現実的に差し迫り、国民の一定層に<「対テロ」「対無法国家」のための「国際貢献」なら仕方ない>という意見が広がっている現在、ますます大きくなっています。その点は、すでにプラムさんが明確に指摘されています。http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/readers/0309/r0309_i.html
 イラク戦争反対運動を展開している、世界の多くの市民団体は、市民への無差別テロが許されないことを明確にして、普遍的な人権や民衆の連帯の立場で、運動を進めています。
 第二に、市民を無差別に殺傷する「イスラム」右翼過激派テロは、世界中で実行されつつあります。最近でもトルコ、サウジアラビア、インド、インドネシア等で行われています。これらの人々の殺傷行為を非難しても「声は届きません」というなら、イラクやパレスチナの民衆の殺傷を非難をしても声は届かないということになってしまうし、民衆・市民の国際連帯を貶めるだけになります。すでに日本人もテロ被害者になっている現実があるのだから、尚更、明確な立場が求められています。
 第三に、ecologosさんは、「パレスチナ側のテロはやはり人間の避けがたい本質」だと言われますが、僭越ながら、現実をもう少しきちんと見ましょう、と申し上げたいです。「パレスチナ側のテロ」という表現自体が不正確だし、イスラエル市民と共闘して「壁」撤廃のために闘うパレスチナ民衆の努力に目を塞ぐものになってしまっています。さらに、繰り返しますが、PLO傘下の世俗的・民主主義(社会主義)的運動に打撃を与えるために、パレスチナ人を含むイスラエル市民を無差別に殺傷する勢力を、かつて育成・利用したのはイスラエル治安当局ではないですか。アルカイダ指導者のビンラディンを援助したのもCIAや反共ネットワークはないですか。彼らこそ「反テロ」戦争の推進者です。
 最後に、世界のどこの国でも国籍を問わず、人は家族や隣人と日々の生活を送る権利をもっています。生命も含んだその人権を基礎にして築かれる、民衆の連帯が<平和>を創造していく原動力です。そのような<理念>を嘲笑したり、感覚的・表層的な<政治判断>に基づいて<無差別テロを非難すると小泉・ブッシュを利する>などという政治主義的主張は、普遍的でないという点でまったく現実的・実践的な力をもちません。