今回、識者たちはこぞって「今度の選挙は面白い選挙になる」としきりに言いふらしていた。
「政権交代をテーマとした2大政党対決になるから」と言うのがその理由だった。
なるほど、それは面白いに違いない。
だが、その面白さとは一体、どんな種類の「面白さ」なのだろうか。
自らが党首を務める自由党が、民主党に吸収合併されるに当たり、小沢一郎は大要、次のように語っていた。
「政党は目的を達成するための手段に過ぎない。目的のためにその手段たる政党がなくなることに何の未練もない」
では、小沢の言う目的とは一体何なのだろうか?
「政権交代」
小沢はこう言い切ったのである。
民主党は今回、マニュフェストなるものを作成した。
具体的な数値、手法、期限などを盛り込んだ政策・政権構想を示すことで政権担当能力をアピールする――まさにその“政権担当能力”こそが民主党自身によって強調された。
要するに、マニュフェストを実現するために政権を担当したいのではなく、政権を担当したいがためにマニュフェストを作ったのであり、政策は政権を獲得するための手段にすぎない、と言うことが、政党自身によって高らかに宣言されたのだった。
与党側からは、自由党と民主党の合併についてはじめのうちこそ、政策をないがしろにした「野合批判」の声が(わずかながら)聞こえたが、それもすぐに消えてしまった。
そもそも自民党と公明党が連立政権を組んでいること自体が野合なのだが、それよりなにより、政権交代と言う「大義名分」の前には――つまりマスコミも識者も、そして国民までもが政権交代を「大義名分」とみなしている、と言う状況の前では、「野合批判」は相手になんらの打撃もあたえられなかった。
こうして、政策の実現の種に政党や政策があるのではなく、政権の獲得こそが目的であり、正当も政策もともにその手段に過ぎない、と言う主張と実践が、誰からも非難されるどころかマスコミ・識者からはこぞって大絶賛され、国民からも拍手喝采されると言う、議会政治史上特筆大書すべき事態となったのである。
思えば、従来の選挙公約があいまいだったのは、政党・政治家は政策の実現こそが務めである、と言う建前の元、その建前と実態との乖離に対する後ろめたさの表れだったのかもしれない。民主党の合併劇とマニュフェストは、その建前、最後のイチジクの葉も吹き飛ばしてしまった。
以上のことから、今回の選挙の「面白さ」とはなんだったのかが明らかとなる。
よく、引退した政治記者なんかが「自民党戦国史」とかまあそんなようなタイトルで本を書いたりする。
内容は似たり寄ったりで、総理・総裁の座を巡る派閥領袖同士の熾烈な駆け引き、閣僚・党内ポストをめぐる水面下の暗闘と言った権力闘争のドラマである。
そもそも自民党自体が与党であり続けることだけを目的としているような政党で、しかもその同じ自民党に所属するものどうしの争いなのだから根本的な政策論争など起こり得るはずもなくハナから期待もされていない。話は勢い権力闘争ののことばかりになる。
そしてこれが「面白い」のである。
もうお解かりであろう。この「面白さ」こそが今回の選挙の「面白さ」なのである。
今回の選挙が自民党「小泉派」と「管直人派」による総理の座をめぐる派閥間抗争を軸とした「多数派工作」の舞台だったと考えれば、「政党は政権獲得のための手段」と言う発言も、政策を政権獲得の手段視する態度も、そして何より「小泉派」と「管直人派」に根本的な政策の違いが存在しないのも当然の話なのである。
これは確かに今までにない事態であった。
これまでの「面白くない」選挙、特に55年体制化における自民党以外のどの党も政権獲得が可能となるだけの候補者すら擁立しない、と言う「2大政党による政権交代」からおよそかけ離れた選挙とは大違いである。
1955年に左右統一した時点で自主外交・米中ソ等距離外交、自衛隊・安保条約条件付容認だった社会党は、それから10年もしないうちに非武装、中立、反自衛隊、反安保を掲げるまでに自民党との政策的対立を先鋭化させ、以後常に野党第一党としてあり続けた。
一方、そのような政策的先鋭化を拒んで社会党を離脱した右派グループ=民社党はその後どうなっただろうか。
なんと驚くなかれ、政権獲得はおろか議席数では社会党に遠く及ばず、野党第一党にも成れなかったのである。
とにかく自民党のまねさえすれば政権獲得も可能となる(少なくともそうマスコミと識者がはやし立ててくれる)、あるいはそこまでは無理としても、与党の一角に食い込んで自民党から選挙向けの「実績」と言う施しものをいただいて、2大政党制下でもわずかながらも議席を増やすことができると言う今日の政治状況からは考えることもできないことである。
93年総選挙による55年体制の崩壊は、自民党政治家の自民党外への流出によって引き起こされた。彼らは新党を結成するにとどまらず既存の政党も巻き込んで、細川連立政権のもと新たな「与党」を作り上げた。しかも自民党を「野党」にして。以後、与党においても野党においても一貫して自民党政治家(もしくは自民党政治家化した政治家)を中心軸に事態は展開されていく。
それは結局、自民「党内政治」の自民「党外」への拡大、言い換えれば国会そのものの自民「党内」化をもたらしたに過ぎなかった。
それでも、これまで一政党内に限定されていた政権獲得ゲームが全国会規模で行われること、これまで一部政治記者ぐらいしか触れることのできなかった密室劇がマスコミ注視の下公然と展開されること、これまで国民から遠くはなれたところで繰り広げられた多数派工作が国民を多数派工作の対象として行われたこと、これらを持って国民の政治参加の機会の拡大として歓迎すべきなのだろうか?
現実主義の名の下に現状がひたすら追認されていく。積み上げれた既成事実の大山脈に根を張って、枝葉末節を競うマニュフェスト論争が花開いている。
「現実的な」対応をとればとるほど、取りうる選択の幅は確実に狭まっていく。
過去ときっぱり決別し、現状にノーを突きつけて、新たな未来を作り出そうと主張すればするほどそれは空絵事にしか聞こえない。
今回の総選挙において社民、共産両党は戦前の無産政党並みの議席比率にまで転落した。
両党がとり得る「現実的な」対応とはなんだろう。
「現実を見ろ。時代は変わった。現実を認めろ。国民の意識も変わったのだ。」
どこからともなく聞こえる声が四方八方からこだましてくる。
結局、綱領を書き換え、基本政策の旗を降ろし、自ら自民「党内」政治の仲間に入り、かつての自民党三木派的ポジションでも目指し、国会の抑止力として議席の保持拡大に努めるのが左翼政党が国民に対してできる精一杯のご奉公なのだろうか。
戦前の無産政党の議員たち、我らが輝ける演壇の闘志たち、彼らは一体どんな気持ちでいたのだろう?
「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持してゐるから」
2003年総選挙は記録的な低投票率のもと行われた。史上まれに見る「面白い」選挙を、国民はそれほど「真剣」にも「本気」にもしなかったのである。
今回、投票そのものを放棄することで茶番劇につばを吐きかけたもの、心ならずも「現実的な」対応を取って不本意な一票を投じたもの。果たして既存の左翼政党が、このような人たちにとって支えるに足る政党となる日が来るのであろうか。