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民衆・世論の現実とテロ言論(2003/11/16のN.K.さんへ)

2003/11/23 ecologos、30代、自由業

 まず、私は勝手にパレスチナを念頭にテロ問題を考えてきましたことをお詫びしなければならないかもしれません。なぜならそれに関わる主体(パレスチナ、イスラエル、アメリカ、日本、各国世論・・・)をひっくるめて考察しなければ、問題の解決はできないからです。他の地域でのテロの実際に通じていませんし。
 さて、政治主義的でない言説が力を持ちえるでしょうか?「戦争反対!」シュプ(純粋なヒューマニズムの唱道)のデモは反戦の力になりえないことが、残念ながら、証明されています。
ヒューマニズムを基礎にして民衆は連帯しないのが日本の現状です。一方、日本共産党に反戦平和の希望を託すことに躊躇するなら、積極的に働きかけて信頼に足る党に変えればよいのですが、そんな努力を民衆はしないのです。ただネットで愚痴るだけ。オルタナティブを示さないし、実践もしない。
 桂文珍(漢字は正しいか?)がテレビの司会で「テロは断じて容認できない」旨述べると、田中秀正が確かせいぜい国連中心で、くらいのことしか言えませんでした。
 反戦世論が盛り上がらないこの言論状況で、小泉がテロに屈することなく・・・と言ってる状況で、私たちはどのようにして反テロ戦争を止められるのですか?
 ヒューマニズムの普遍性、これはイラク反戦世論結果に反映されているものとほぼ同じといっていいでしょうが、これでイラク戦争は阻止できなかったのです。ヒューマニズムは反戦平和運動の原動力とか出発点であっても、その内実ではありません。
普遍的な理念も、頭の中にひっそりと格納されているだけでは力にならないのです。民衆は動かず、戦争遂行者と戦争メディアがこれを利用する。現在、これがヒューマニズムの利用のされ方。
それから、非国家テロは選挙でなくすことは無理ですが、イスラエルもアメリカも戦争遂行者を選挙で落とすことが可能です。テロ非難・賛美の声が届く届かないといったのは、そういう民主主義的手続きの有無を念頭に入れたものです。