ecologos氏のニヒリズム
人間の尊厳に関わる言説は絶対的なものであって、その効果の有無で左右されるべきではない。いつでもどこでも人間は殺されてはならないし、不当に差別されるべきでない。
9.11のような残虐な殺戮に対して、許せないと感じて非難の声を挙げることは人間として当然の感情である。これは、「テロリストに非難の声が届かない」とか「ブッシュを利する」などというニヒルで小賢しい思考をはるかに超えている。
そして、こうした小賢しい思考によって無差別テロに口を閉ざした反テロ戦争批判こそが、一般大衆にうさんくさいものと見られているのである。あなたたちは無辜の市民の生命よりも反米イデオロギーを優先しているのではないか、と。実際、連日のように報道される無差別テロに対して「非難をしない」(あるいは口を閉ざす)というのは、それ自体がテロ擁護の態度表明と見られても仕方がないだろう。
だから、テロリストを国際世論の批判で孤立させ、武力によらずにテロをなくしていく方策を本気で考えようとしないことが、反戦世論の支持と共感を広げない理由なのである。
ecologos氏は、「戦争反対!シュプ(純粋なヒューマニズムの唱道)のデモは反戦の力になりえないことが、残念ながら、証明されています」と断言している。一体何がどのように証明されたのかお聞きしたいものだが、ヨーロッパやアメリカでの反戦運動の広がりはブッシュの戦争政策の錘になりつつあるし、日本国内の潜在的な反戦世論の存在が自衛隊のイラク派遣を躊躇させていることも明らかであろう。それ以外にecologos氏はどのような運動が「反戦の力」になるというのだろうか?
氏は、「非国家テロは選挙でなくすことは無理ですが、イスラエルもアメリカも戦争遂行者を選挙で落とすことが可能です」とも述べている。しかし、無差別テロを非難すべきでないという氏の言論で、アメリカとイスラエルの国民を一体どうやって説得するのだろうか? 氏の「現実政治論」は私には全く理解できない。
氏は、「ヒューマニズムを基礎にして民衆は連帯しないのが日本の現状です」とも言うが、これも驚くべき発言だ。薬害エイズ問題、ハンセン病問題、あるいは北朝鮮拉致事件、これらはすべてヒューマニズムを基礎にして広範な世論が形成されたものである。氏の認識とは全く逆に、「こんなことは人間として許せない」というヒューマンな感情の琴線に触れることなしには、いかなる民衆運動も不可能なのである。 ニヒリズムや政治主義が運動の原理となることはありえない。