まず、個の意思が全体の意思に正確に反映しない世界の現状を冷厳に見据えた言論が必要だというのが、私の基本的な考え方です。
9・11テロ非難の声が人間=個として自然なことは当然ですが、それが集まって、アフガン戦争以後を後押ししたのではないですか。そしてテロは拡散したのです。
これを大衆に説明しましょう。また侵略テロが抵抗テロを引き起こすから侵略テロをなくそう、と言いましょう。こうした言論に瑕疵があるでしょうか。言論は、その字面で、一時、個にとって溜飲を下げるためのものではないと思います。もちろん、大衆に支持される言論・運動という視点は常に必要です。
「アメリカとイスラエルの国民を一体どうやって説得するのだろうか?」と言われますが、通常、犯罪被害者を説得しますか?法に則り粛々と犯罪を裁くのが普通だと思いますが。
日本で反戦世論が盛り上がらないことをもって、「ヒューマニズムを基礎にして民衆は連帯しない」と言いました。またイラク戦争を阻止できなかったことをもって、「戦争反対!シュプ(純粋なヒューマニズムの唱道)のデモは反戦の力になりえないことが、残念ながら、証明されています」と言ったのです。これが事実ではないですか?
デモ隊のなかで歌を合唱する人を見かけますが、沿道の人に訴えるものがあるかどうかは、疑問です。「戦争反対」「NO WAR」のプラカードばかり見せられて感じるものがあるかどうかも、疑問です。善意の運動でも、「効果」が求められるのです。
どのような反戦運動が効果的か?オルタナティブ(マス)メディア(木村愛二)になればいいと思います。「戦争反対!」ばかり書かれた新聞を購読する人はいないでしょう。劣化ウランなど自分たちの知らない事実を知らせてくれなければ、反戦運動に聞く耳を持たないでしょう。新聞で置き換えれば購読しない。結果、大衆の(ヒューマニズムの強度を高めることをもって)反戦世論を高揚させることはできないと思います。
さて、ついに外交官二人がイラクで殺害されました。二人への同情をテコに、小泉らのテロには屈せず・・・が喧伝されるのではないかと、心配です。democratさんも皆さんも、日本の言論の実情とそれが果たす役割を、しっかりとご覧いただきたいと思います。