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最初は誰でも初心者さんへ。「国民がスポンサー」で良いと思います

2003/11/5 ウナギ犬、30代

 どうも初めまして。
 最初は誰でも初心者さんは、私とは違う意見のようですが、私は共産党は「国民がスポンサー」の政党であると思っています。

 私と貴方の意見の根本的な違いは、貴方が指摘した「事業収入」の中身について、価値観が食い違っているところから来ていると思っています。
 最初は誰でも初心者さんは、「共産党の収入の大半は事業収入で、個人献金でない」と書かれていましたが。
 その事業収入のほとんどが、共産党の機関紙「赤旗」の購読料ということを無視してはいないでしょうか。

 確かに、支持者でなくとも赤旗を取っている場合もありますが、やっぱりそれは少数派でしょう。
 機関紙の収入というものは基本的に、その政党への国民の支持の上に成り立っていると私は思います。
 少なくとも、財界にパーティー券を大量に売りつけるのとは、正反対の意味を持っていると思います。

 党員は「国民がスポンサー」という意識を持っていない、と貴方は主張しましたが。
 少なくとも私の周りの党員さんたちは、そうではありません。
 共産党が収入の大半を「赤旗」購読料に依存しているということは、党員だったら誰でも知っていることだからです。
 党員の方々が、「国民がスポンサー」という標語を念頭に置いているかはともかく、「国民に養われている」という観念は普通にあると思います。

 また、最初は誰でも初心者さんの

「主権在民」という見地に立てば、「国民がスポンサー」ではなく「国民が主人公」の方が正しいと思います。
重要なのは「人民(=スポンサー)のための政治」ではなく「人民(=主人公)による政治」ですから。

 という意見についてですが。

 「主権在民」という言葉は、自身に課す目標としては大切な言葉だとは思いますが、外に向ける言葉としては全く無力だと思います。
 主権在民が大前提の世の中で、その大前提をスローガンに掲げても、感銘を誘うとは思えません。

 政党や政治家は、「代理者」として政治を行う者です。
 「誰の代理者なのか?」「誰の為に政治を行うのか?」ということを考えたとき、絶対にスポンサーの問題を無視できないと思います。
 手前味噌で恐縮ですが、「国民がスポンサー」という言葉には、「誰の為の政治なのか」ということを考えさせるパワーがあると思っています。

 また、私が現在の「国民が主人公」という言葉が無力だと思っているのは、そこには「政治に対し国民が一番重い責任を背負っている」という認識が含まれていない、と思えるからです。
 「人民の、人民による、人民のための政治」というものは、国民が政治に無関心だったり、参加を怠ったりする事とは全く正反対だ、と私は信じています。
 「国民が主人公」という言葉には、そういう「政治に参加しよう」「政治について考えよう」とさせるような、相手に響く力が無いのが非常に問題だと思います。

 よく「自民党(小泉政権)の国民いじめ」という言葉を共産党は使いますが。
 そういう言葉とセットになった時、「国民が主人公」という言葉は国民の責任や自意識を呼び起こさず、「国民のために頑張ります」程度の意味しか無くなっている、と私には思えます。