少し前のことになりますが、9・5の鎌倉さんの北朝鮮問題に関する「赤旗には前 記のことを何度か問い合わせている」や、それに呼応してのとんびさんの「何度か共 産党中央委員会に問い合わせましたましたが、ご返事がありません。」という投稿 は、私達、党内民主主義を求める者達にとって、大変、励みになり、本当に、有り難 いと思いました。
鎌倉さんの10・31の投稿、「具体策を」という事に関しては、まったく、同感 です。私達にも、どういう事をやっているのか、見えてきません。しかし、私自身 は、そんな事待っていられませんので、勝手に、それなりの団体に、友人達と考えた 提案を送ったりしています。
また、最近では、ドフトエフ好きさんの「何だかんだ言っても、共産党を支持して いるので、少々キツイことを書いてしまいました。」と言われる投稿や「不破路線5 年目の破局ー民主党の正体露呈」のchachaさんの批判など、ぜひ、中央にもお送り頂 きたいと思います。
党は、中央指導部のものではない。このような、批判をしながらも、応援してくだ さる方々こそ、最も大事にしなければいけない、ということが、本当に分かっていな いのです。
党は、40万の党員だけで、選挙を闘っているわけではない。
日常の付き合いの中から、いろんなことがあっても、平和を守る、自衛隊員に戦闘
行為などさせたくない。暮らしやすい日本にするという大局的な見地から、支持し、
ビラ折や配布を申し出てくれる人たち。カンパをしてくれる人たち。「何にもできな
いけど、投票にだけは行くわ」と言ってくれる人たちがいてこそ、成り立っていると
いうことを、本当に、忘れてしまっているような気がするのです。
先の投稿でも触れましたが、820万人の方々が、「日本共産党」と書かれ、共産 党を除く「オール与党体制」に対する批判が、端的に表れていた頃から、俄か政権欲 が出てきたのでしょう。地盤を固め、社民党や民主党までも自分たちの側へ政策を転 換させるくらいに飛躍するべきだったのに、中央のやった事は、全く、逆のことでし た。その結果が、390万人の方々の、支持離れという結果に、見事に表れました。
もちろん、選挙だけが、全てではありません。いわゆる「大衆闘争」としての反戦 デモ。最近では、ピースウォークとかパレードとも呼ぶ様ですが、世界の人々の10 0万、200万とも数えられるデモには、残念ながら、日本の現状は、遠く及ばない ものでした。
天邪鬼さんが仰る、党は、「大衆闘争をやらない、何故なのか。わたしは日本共産 党が大衆を恐れているように思います。」という点については、本当のところは分か りません。しかし、恐らく、そういうことではないと思います。
2月、3月頃、全国行動として、集会が提起されました。この地域で参加した者
は、十数名でした。やらないよりは、やった方がいいのかもしれません。
しかし、全くと言ってもいいほど、広がりがありません。飛び入り参加するような
状況ではないのです。中央集会では、そのような事もあったように、ここ「さざ波」
にも書かれていたように思いますが、ホントに、浮いてしまっているのです。
そして、このような、アリバイ的集会をやる意味とは、何だろう、と私は、考えて
しまうのです。
どなたかが言われていましたが、共産党は、老人の党だと思われている、と。星鈴
さんの投稿にも「私の周りを見ても、若いのは殆どいない。年寄りばかりである。」
と書かれていました。
共産党は、若者たちに魅力のない政党になっている、ということが現実です。若者 たちが、右傾化していると、よく言われます。だからと言って、戦争を支持している という事ではないと思います。事実、小さな規模ではありますが、ここ彼処と、高校 生なども参加する集会が開かれてもいます。子供を連れた若いお母さんたちも、参加 されているのをテレビなどで見ます。
ああ、こんな集会だったら、道行く人たちも、ちょっと、加わってみようかな、話 を聞いてみようかな、と思う気がします。
ところが、共産党の集会は、ぜんぜん違う。 年寄りばかりなのです。誤解されな
いで下さいね。差別的に言っているのではありませんよ。私も、年寄りに近い方に
入ってきましたので。
この辺は、寄らば大樹の陰さんが書かれている「昔風のくたびれたデモ」「『動員
方式』では人は集まらないし、折角参加しても面白くなければ、疲れるだけで参加者
は減っていくだけです」等と認識を同じくするものです。
そして、考えてみるに、これは、共産党の本質論に近づく事なのですが、この党
は、ダブルスタンダードであるということなのです。
綱領に、はっきりと、統一戦線でやると言っているのに、実際には、非常にセクト
的行動ばかりとっている、ということです。
反戦、平和の運動は、原水禁運動と切っても切り離せないものでしょう。
原水協の果たした役割を否定するものではありません。私も、広島、長崎の世界大
会に参加したことがあります。丁度、統一世界大会が、十数年ぶりに開かれた頃で
す。多くの参加者が集い、和やかに、大会は、幕を閉じました。
これからは、もっと広い、市民一人一人が参加できるような運動になっていくこと
を、望みながら。
ところが、その後の展開は、御存知の如く、組織統合どころか、世界大会さえも、
今も続く、分裂大会という状態になってしまいました。
この件に関しても、何が本当の事なのかは、私にも分かりません。ただ、我らが、
敬愛する、古在由重先生さえ、除籍されるという結果だけが、私達の心に残ったので
す。
確かに、共産党だけの責任ではないと思います。原水禁側にもセクト主義があるで しょうし、政治の面では、社会党は、その後、現実に、「自社さ政権」さえも組むと いう無節操さを曝け出したのですから。
しかし、84年当時、核兵器禁止が、「全人類の死活にかかわるもっとも重要かつ
緊急な課題」という「緊急な課題」か「究極な課題」とするかで対立した、と言われ
ていることについても、私などは、愚か者ですから、意見がどうしても合わなけれ
ば、とりあえず、両方外して、「もっとも重要な課題」という部分は共通な認識なの
ですから、その線で、一緒に世界大会ぐらい開いてもいいんじゃないの?と思ったり
するわけです。
合わない所は引き続き議論すればいい、って。
国内でも、世界中の国の人も、「何でまた……」と思ったのではないでしょうか。
この辺りは、それほど、内情を知った上で、深く考えたわけではありませんので、批
判もあるかもしれませんが、党外の一般の人たちの気持ちは、「大会さえも一緒にや
れないの?!」というのが、普通の感覚ではないでしょうか。
口先だけではなく、統一戦線の立場で行動するということが目に見えてこそ、運動
の広がりがあるのではないでしょうか?
「イラク戦争反対!!No War!!」という行動に、「いかなるテロにも反対
!!」とか「抵抗闘争をテロと決めつけるな!!」という意見の違いがあったとして
も、一緒に、デモやればいいジャン。そんなことを世界中の若者たちは、拘ってなん
かいないでしょう。絶対に!!と思うのです。
みんな、共同の行動に参加しつつ、それぞれの想いを、表しているんだと思いま
す。
ところが、共産党、というより日本の左翼の一般的傾向かもしれませんが、実際 は、統一戦線・共同行動よりも、分裂戦線・セクト主義が好きなのです。その辺の度 量の狭さが、「理論政党」という「プライド」の高さとあいまって、結局は、批判を 許さず、中央盲従の党員ばかりとなり、理論水準自体、疑わしいものになってしまっ ている。
この度量の狭さという点が、「もし『人間学』という学問分野があるなら共産党は 落第ですな(笑)これを克服しないと政権は取れない。」という不和雷同さんの言葉 に繋がっていると思うのです。
「そもそも論」は、あまり好きではありませんし、苦手なのですが、もう少し続け させてください。以下、である調で書きます。
そもそも、共産主義という考え方自体が、反体制なのだから、マルクスが言ったよ うに「妖怪・幽霊」と体制側には恐れられるべき存在として、共産党自身が自己認識 しているというのが、原点である。
その中心となるべき労働者階級および被抑圧人民が革命を通して、権力を握った場
合に、最も恐れるのは、今度は、いわゆる、旧体制側の反革命、クーデター、他の資
本主義・帝国主義国からの干渉であろう。
従って、革命前には、体制側の党破壊活動を警戒するのは「当然」であり、革命後
は、それと同時に、あらゆる反革命活動を警戒するのである。
このような根本的性格から、共産党は、その「警戒心」故に、内部における、まと
もな中央批判さえも、党指導部においては、党破壊、分裂主義、反党分子、解党主
義、分派活動、党内スパイ等々と見えてしまうのである。様々な呼び名で呼ぼうが、
本質は一つ、党破壊活動で、同じなのである。
そして、また、革命後においては、反革命を絶対的に許さないとの固い決意を至上
命題とし、「プロレタリア独裁」なるものを合目的化したのである。
確かに、革命後の「プロレタリア独裁」なるものが、労働者階級と人民の利益に 「完全に一致」し、それを担う共産党政府の執る国家運営が、過渡期も含めて社会主 義計画経済として、それまでの資本主義経済以上の現実的利益をもたらしているのな らば、少数派である旧独占資本家階級および反動勢力の不満はあるとしても、取るに 足らないものである筈である。
ところが、ひとたび、その国家運営、計画経済が誤ったものであった場合には、は たして、いかなる事が起こるであろうか?!
共産党自身が、反革命絶対阻止の至上命題を堅く守る事こそ人民の利益に合致する のだと信じ、「警戒心」を緩めてはならないと思うとすれば、その国家運営・計画経 済政策を批判する者達は、反革命勢力=歴史を後戻りさせる勢力であり、人民の利益 に反するとして批判されるのは、目に見えている。
なぜなら、彼ら、共産党政府自身が、「人民の代表」であり、今や、国家権力それ
自体なのだから。
そして、哀しいかな、革命後の国家には、「プロレタリア独裁」という名の下に、
共産党しか存在を許されないのである。
ロシア革命においては、1905年の第一次ロシア革命前、あるいは革命の最中に
おいては、ボリシェヴィキ以外の他の潮流、少数派であったメンシェヴィキが存在
し、ある程度、統一行動をとっていた。
しかしながら、1917年二月革命後、メンシェヴィキは、エス・エルとともに、
ソヴィエト内で多数であったにも拘わらず、十月革命後、反革命分子として、弾圧さ
れ、分裂し、崩壊していったのである。
レーニンの率いるボリシェヴィキは、1912年、プラハ協議会で、メンシェヴィ
キと組織的に絶縁し、第二インターナショナルの諸政党と根本的に異なる「新しい型
の党」となった。
それは、マルクス主義の理論を基本とし、職業革命家を中軸に、民主集中制の規律
で結ばれた、人民と密着した「革命的前衛党」であった。
労働者階級と人民の利益を代表する先進部分=前衛は、ボリシェヴィキ=共産党で
あると考えられていたのである。
そして、それ故に、前衛党の行う指導・政策は、人民の利益と一致していると考え
ており、と言うよりも、思い込んでいたのであって、利害が反することがあるなどと
は考えもしなかったのである。
革命直後の1917年12月20日、レーニンはチェーカー[チェカ](反革命・サ
ボタージュ取締り全ロシア非常委員会)を組織した。
財産没収、住居からの強制退去、配給券の取り上げ、「人民の敵」のリストの公表
等がその使命とされたが、翌年には、もうすでに、「敵の密偵、反革命煽動家、投機
者のすべてを『探し出し、逮捕し、即座に射殺せよ』との命令が発せられた」のであ
る(プラウダ・1918.2.23号)。
その後、1918年11月7日、レーニンは、「重要なことは、チェカが直接にプ ロレタリアートの独裁を実現することであり、そしてこの点で彼らの役割は、はかり しれないほど大きい。暴力で搾取者を押さえつける以外に、大衆を解放する道はな い」(「レーニン全集」第28巻、「全ロシア非常委員会勤務者の演奏会での演説」) と言い放ったのである。
全ロ非常委員会の参与会委員であるラツィスは、1918年と1919年の6カ月 間でチェーカーにより銃殺されたのは8,393人と述べている(ジャック・ロッシ 「ラーゲリ・強制収容所注解事典」)。
このように「人民の敵」と言い、処刑を行ったのは、何も、スターリンからではな
いのである。
それは、ある種、「当然」のことであろう。
ロシア革命自体が、暴力革命であったのであるから、「テロ」行為に対する抑止力
とも言うべき、観念、思想、人権意識が希薄であったのである。
レーニンは言う。「プロレタリア民主主義は搾取者、ブルジョアジーを抑圧する ――だから偽善的なふるまいをせず、彼らに対して、自由と民主主義を約束しない」 と(「プロレタリア革命と背教者カウツキー」)。
そこには、身体の自由、住居の不可侵、財産権、営業の自由等の基本的人権はもち ろん、それらを制限する場合の、適正手続き[デュープロセス]の保障という概念など ないのである。
そして、1921年4月。
「党にではなく、ソヴィエトに権力を!!」をスローガンとして掲げ、政治的自
由、自営農、家内工業の自由化などの要求を「ソヴィエト政権」に行い、赤軍の攻撃
に対し2週間の抵抗・反乱を起こしたクロンシュタットの兵士・水兵達は、「ウフタ
の犯罪者植民地に入植させる」べきとされ、強制収容所へと送られてしまったのであ
る。
1917年―ロシア十月革命において、彼らは、ボリシェヴィキの熱烈な支持者た
ちであったにも拘わらず――。
そして、その後は、御存知の通り、スターリンのさらなる専制支配、大量虐殺と収 容所群島化であったのだ。
哀しいかな、そこには、自由と民主主義、人権保障の観点が、すっぽりと抜け落 ち、「反革命」阻止のためなら、大量殺人も何のその。「人民のために」と言いなが ら、「人民の敵」として、人民を虐殺していったのである。
旧ソ連・東欧などの「社会主義」国にとっては、資本主義国=悪の帝国、悪の権化
なのであるから、計画経済以外の市場経済原理などは、人民を搾取し、抑圧する手段
と一体のものとしか考えていなかったのだ。
しかも、その計画は、「前衛」である共産党政府が考えるのである。なぜなら、共
産党こそが、革命運動の先進部分であり、他の組織、団体を指導するべき前衛である
からである。
そして、その「計画」に間違いがあるなどとは考えていなかったのである。
しかし、共産党が権力を握り、批判の自由を許さず、中央指導部および、その盲 従、職業革命家=党官僚ばかりで、計画・政策を決定した場合、ひとたび、その「計 画」に間違いがあったとすれば、どのようになるであろうか?!
その結果と事実は、ソ連・東欧の崩壊。中国の文化大革命。そして、北朝鮮の現実 を見れば、明らかであろう。
日本共産党は、自主独立の党として、ソ連・中国の干渉に反対し、絶縁状態になっ
たこともある。それは、正当に、評価すべきであろう。
「自由と民主主義の宣言」において、将来における、複数政党制の保障等について
も述べている。
しかし、「ロシア十月社会主義革命など世界人民の解放闘争のたかまりのなか
で」、事実上、コミンテルン日本支部・日本共産党として生まれ、今も尚、レーニン
の始めた「民主」集中制を組織原則として保持し、2000年第22回大会において
は、さらなる、規約の改悪さえ行い、民主主義と反する行為を行っているのである。
ここに、反体制「革命的前衛党」の組織体質と悪しき伝統が、生き続けているので
ある。
私が、先の投稿で、根深い病巣と言ったのは、このことであった。
この、体質的ダブルスタンダード(=統一戦線とセクト主義)を克服しない限り、
共産党に未来はないのである。
私は、日本においては、決して、暴力革命を支持しない。自由と民主主義を最大の
価値および原理と考えているからであり、人権の尊重を、最大限、願うものだからで
ある。
他国においては、確かに、戦争状態から解放闘争、社会主義革命へと繋がる場合も
あるであろう。例えば、ベトナムの場合の様に。
しかし、ベトナム民主共和国は、今も、一党独裁である。私は、早期に、複数政党
制に移行してもらいたいと願っており、かの国を、社会主義国であるとは考えていな
い。
民主主義のない社会主義はないと私は考えているからである。
22回大会では、前衛規定は削除された。
私は、その事自体は当然である、と思っている。共産党が、前衛として、全ての分
野で指導、計画、実践する事などできる筈がないではないか。私は、前衛規定など
は、さっさと削除すべきだと、20年以上前から言っていた。
いわゆる「田口・不破論争」の頃である。あれから20数年。ソ連・東欧の崩壊か
ら10年以上経って、ようやくの削除であった。
しかし、不破指導部の採り続ける、マヌーバー的手法には、厳しい批判をしなけれ ばならない。それは、不破氏の言う言葉と反して、全く、「民主主義の党として一 貫」していないからである。
日本共産党が、民主主義の党であるならば、何故、規約の改悪をしてまで、中央指
導部に対する批判を封じようとするのだ。ここ「さざ波通信」においても、何度も批
判されてきた事に、何故、何の反論も行わないのだ。
誤った言論なら、言論で批判すればよいではないか。
反論などできる筈がないのである。非は、全て、中央指導部にあるからである。
20数年前の「田口・不破論争」において、田口氏の批判に耳を貸さずに、心ある
党員からも総スカンを食らった、あの時に、無内容な「反論」を行わず、いわゆるス
ターリニズムから脱却できていたなら、日本の革命運動は変わっていたであろうし、
不破氏、あなたは、このような批判を受ける事もなく、名議長として、党史に残った
かもしれません。
しかし、現実は、21世紀の今に至るも、「民主」集中制規定の削除を求める声も かき消し、党員達の、規約変更にたいする公開討論、全党討議等の請求権さえ奪って しまったような指導部なのである。
このように、共産党という組織には、広く多様な声を包含できない、生まれながら
の組織体質があるのである。
それが、「新日和見主義事件」や「いずみ生協事件」、その他の市民団体引きまわ
し等に、繋がっているのである。
「統一戦線、統一戦線」「無党派、無党派」と口では言いながら、中央批判を許さ ず、除名・除籍を繰り返し、独自の自発的行動よりも、中央集権主義、上意下達の官 僚命令主義の政党に、多くの人々が、結集できる訳がないではないか。
このような組織では、人々に「開かれない」「胡散臭い」政党と見られて当然であ
る。
このような組織に、若者が近づく筈がない。わざわざ、党費まで払って、党員にな
ろうなんて、変わり者としか言えない。
若い党員の皆さん、御免なさい。あなた達は、立派です。でも、あなた達も、そ
う、思っているでしょう!?それが、普通です。実際、民青の数が、20万人から、
2万人などという事に、明確に表れているのではないでしょうか。
党にしても、完璧に逆ピラミッドとなり、明日が見えなくて、老人党なのである。
青年党員の皆さん。私のようなオッサン党員も、中央批判をしています。メールで
も何でも、どんどん送って、中央に民主化要求の声を上げましょう!!
ちなみに、前衛などにも、受取人払いの折込み葉書が付いてます。
「他支部との自由な交流を認めろ!!」
「カンパ目標を押し付けるな!!」
「拡大拡大と焦って言うな!!」
「不破指導部は辞任しろ!!」
「民主集中制をやめろ!!」
「指導部の直接選挙を実施しろ!!」
「党内民主主義を認めなければ、辞めてやるぞ!!」等々、
何でもいいじゃありませんか。思っている事を、ぶつけましょう!!
天邪鬼さんの迫力ある御意見には、マルクス・レーニン主義の捉え方と、スターリ
ン支配の打破など、大変得る所が多いです。
天邪鬼さんは、
「いったいなぜ革命後にそのようなことになるのか。どうしてそれを防げるのか。 あるいは社会主義革命が成立すれば個人崇拝とスターリン主義支配になる必然性を もっているのか。それが共産党員と支持者の悩みである。」
と仰っています。
私の考えは、大体上記のようなものです。
ソ連・東欧崩壊後、多くの事実が明らかにされてきました。スターリン時代の大粛
清による銃殺、獄死、餓死等々の被害者は数千万人にのぼるとも言われております。
未だ、正確な数字も分かりません。
私も、このような事は、絶対にあってはならないと考えております。
また、「これは夜明け前にうつらうつら考えていた夢である。」と仰っておられる
ように、天邪鬼さんが言われていることが、私にも、よく判らない部分もあります。
しかし、「日本においては暴力革命以外のいかなる道もないと今も考えている。」
と言われるところが、私とは、違う点だと思います。
私は、それが、可能であると考えておりますし、平和革命以外に、より発展した社 会への道はなく、また、日本の圧倒的多数の国民の支持を得る事もできないと思って います。
私は、レーニン主義と呼ばれるものに、上記に述べてきたような否定的側面を見ま
す。
そして、それは、過渡期の一時的な現象であるとは、思えません。個人崇拝はもち
ろんですが、「革命的前衛党」による一党独裁=「プロレタリア独裁」という根本的
組織体質が、決定的な要因だと考えています。
そして、その被害は、あまりにも大きすぎる。
チェーカーは、のち、ゲーペーウー、KGBへと引き継がれて行きました。
このような事を許さないための保障は、民主主義です。一人一人の人権意識です。
資本主義体制の中でも、可能な限り、民主主義を徹底し、発展させる事が必要で
す。三権分立の実効化、情報公開と個人情報の保護、権力者の罷免権等。最高裁判事
に対する国民審査で、判事が罷免されるくらいにまで、国民の意識が高まることが必
要だとおもいます。
つまり、それは、制度だけあっても、駄目だという事です。結局は、国民の主権者
意識、民主主義とは何か、基本的人権とは何か、どうあるべきかという事を、普段か
ら自然に考えられるかどうか、に懸かっていると思います。
もちろん、常時考える人は、政治家・法律家くらいでしょうが、今、無党派と言わ
れる人々は、政治的関心が高いと言われております。
一人一人が、自分の頭で考えることこそ、自由と民主主義が、経済的基盤の安定を
基に開花するのに必要なことだと考えています。
かつて、そして、現在もそう呼ばれる「社会主義」国のようになって欲しいと思う 国民は、まずいないと思います。(北朝鮮に、亡命したいという女性がいたと、つい 最近、ニュースで聞きましたが…)
それにしても、最高責任者が、「民主主義の党として一貫した形で」等と綱領改定
案報告で、言っておきながら、民主化を求めなければならないこの大矛盾を、不破氏
はどう考えているのですかねぇ。
民主主義が、如何に分かっていない人が、民主主義なんて言っているという事で
あって、私達は、ホントにツライのです!!
しかし、最初に述べましたように、ホントは、私達の声よりも、鎌倉さん達のよう
な、党外の人々の批判の声の方が、中央には、痛い筈なのです。何故なら、党員は、
せいぜい40万人で、この部分は基本的には、共産党とその候補者に投票しますが、
無党派支持層は、他党に投票もしますし、棄権もします。
その批判の声が大きいという事は、それに応えなければ、確実に、支持、得票、そ
して国会議員の職さえ失うという事になるのですから。
総選挙で、どのような結果が出るか判りませんが、次期大会では、人事の一新、党
内民主主義のための規約改正の提案を行う事こそ、本来、優先されるべきであって、
その上で、綱領改定の徹底討論と組織再編成の大改革を行う事が、根本的に求められ
ていることであり、「筋を通す」ことだと考えます。
旧東ドイツ共産党=PDSは、2001年の綱領改定草案以来、今も、活発な公開
討論を行っているそうです。半年で、サッサと決めてしまうような問題ではないので
す。
自民党には、「自民党をぶっ壊す!!」と言える人物が出るし、また、それを認め
る「度量の大きさ」もある。
もし、今度の党大会で、私なり、さざ波編集部員が「共産党をぶっ壊す!!」と
言って、代議員に立候補したなら、即、査問。除籍。除名でしょう。
それにしても、もし、現有議席を割るような事になれば、少なくとも指導部は、
「謀略ビラ」などのせいに帰することなく、それこそ、サッサと総退陣していただき
たいものです。
そして、来年の、原水禁世界大会は、統一大会として開けるような、行動力のある
新指導部となってもらいたいものです
潤さんの「革新の第3極を」という大局に立つ考え方には賛成です。土井さんです ら一応、「第3極」と言っているのですから、もっと前に、まず、話し合いを呼びか けるべきでした。もちろん、これからも。ただし、そう言いながら、社民党は、民主 党ばかり向いていますが。
長くなってしまいました。お読みくださった皆様、有難うございます。
追伸。必勝藤木邦顕さんが、私が、これを書いて出そうとした時、同じことを書い
ておられました。
想いは、同じです。
+++++++++++++
共産党に妖怪が出る――インターネットという妖怪である。
古い共産党のすべての中央は、この妖怪を退治しようとして、規約の改悪を行って
いる。
批判派にして、中央から分裂主義だと罵られなかったものがどこにあるか。批判派
にして、自分より進歩的な批判派に対して、また、反動的な改悪者に対して、分裂主
義の烙印をおしつけて悪口を投げかえさなかったものがどこにあるか?
中央指導部よ、IT革命の前におののくがいい。ネットコミュニストは、党改革に
おいて、鎖のほか失うべきものを持たない。彼らが獲得するものは自由である。
万国のネットコミュニスト団結せよ!!