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愚等虫さんへ

2003/12/1 原 仙作

 返事が遅くなって申し訳ありません。
 仕事に追われ、しばらく当サイトも見ていませんでした。ご指摘のとおり、原投稿は 私のもので、投稿が不慣れなためか、苗字だけになってしまいました。ハンドル名に 原と打ち出すと自動的にフルネームが選択肢に出てくるので、それを選択したはずだっ たのですが。
 好意的な感想をいただき感謝しております。あわせて、人文学徒さんにもお礼を申し 上げます。
 愚等虫さんのいわれるとおり、ネオ・マル論争も成果をみることなく終わりましたが、 その原因は時代の変化を感じ取った田口、藤井氏らの問題提起の重要性を日本共産党 が理解できず、教条的(組織論の最高の発展段階論)、政治主義的(利敵行為論)に 反論したことにあります。
 以来、論争といえるようなものは途絶え、今日に至っていることは日本共産党にとっ ても実に不幸な事態だと思います。
 社会主義国が崩壊し、百家争鳴の議論があってしかるべきところですが、共産党が 「ソ連は社会主義国ではなかった」という議論を唱えても、そうしたおかしな議論を 正面から批判する学者や研究者の声もなく、党の指導部内からの異論もない現状では 議論の民営化が是非とも必要だと思います。私が当サイトを評価する理由です。
 私の思うところでは、今日の時代はマルクス・レーニンの時代とは根本的に異なった 時代になったということです。マルクスの時代の革命は封建制との闘争を主要な内容 としており、暴力革命が通常であり、レーニンの時代もヨーロッパ先進国が国を挙げ て狂気の戦争に突入し、これまた暴力革命を不可避としていました。いずれも民主主 義はブルジョア民主主義として、無力でミゼラブルな姿をさらしていました。
 しかし、今日、世界中の武器をかき集めたより多くの軍備をもちイラクを侵略するブッ シュが国民の1票に戦々恐々としている現実があります。レーニンの時代には帝国主 義は民主主義を圧殺しましたが、いまでは帝国主義は民主主義を圧殺できず共存して いるばかりか恐れてさえいます。ここに今日の特徴があるのだと思います。
 比喩的に言えば、レーニンの『独占』概念に匹敵する地位を今日の『民主主義』は獲 得しつつあるのだと。時代の流れを決定する要因が経済から政治へ、民主主義へ、民 主主義を担う国民の意識(運動)へと移行しつつある時代ということです。
 このような時代には、もはやマルクスやレーニンの理論はそのままでは使えません。 それこそ、あらゆる議論が従来のものではすまされません。前衛党論やプロレタリア 独裁論にしても、党組織論にしても、すでに述べた民主主義論にしても、左右の日和 見主義批判の議論にしても、議会闘争の位置づけや選挙戦術にしても、はては不破氏 の青写真否定論まで新しい議論が必要になっているのだと思います。
 不破氏の青写真否定論などは、エンゲルスが『空想から科学へ』を書いた頃の議論か ら一歩も外へ出るものではなく、今日、民主主義が決定的要因に転化し、革命の移行 形態ですら国民の意思で選択することが可能になってきた時代にあっては、むしろ青 写真こそ民主主義運動の担い手を結集する旗印として必要になっているのだと思いま す。青写真を共産党ばかりでなく、国民が寄って集って作りあげる作業こそ必要なの だと思うのです。
 民主主義が決定的要因に転化したと考えると、人文学徒さんの指摘する実践的唯物論 の重要性もよりよく理解できるだろうし、democratさんのヒューマニズム(主義)も 理解できるようになります。
 大風呂敷を広げてしまいましたが(苦笑)、取り急ぎおれいまで。