共産党が、宮本氏の政治的死亡の後、それまで胎内に秘めていたものを全面開花させようとしているように思えます。今度、光文社からでた井上ひさし氏と不破氏の本などはそうした傾向の象徴です。象徴天皇制は否定しない、自衛のためには国家の軍事行動もあり得る、自衛隊はさしあたりそのままでいいなどと言い、ソニーの経営者の言説にエールを送っているのですから驚きです。もっとも、おどろく方が共産党の実際の立場に無知なだけだのかもしれません。
そして、「日本が好きだ」と強調されていることは特徴的です。今では「日本共産党」の「日本」にアクセントがおかれ、社会主義的変革は事実上否定するのですから。
「共産」は、「老舗ののれん」の意味しか持っていないようです。ま、「共に幸せを産み出す」ことに反対する人はいないということなのでしょうが、共産主義が、「私的所有の廃止」であることをあいまいにする人々は、決して共産主義者とは呼べないでしょう。
今回の、国旗・国歌は法制化すべきだとの見解は、実際には「日の丸・君が代」の事実上の容認に行き着くと思います。そして、こうした立場は、単に中央の幹部の独走ではなく、こうした見解を求める層が党内に少なからず存在するからだと思えるのです。地方議員や地方組織の幹部の中には、地方自治体での与党として、保守会派とも友好的になってきている部分が存在しているのではないでしょうか。
共産党の地方議員の中には、卒業式や入学式に議会を代表して出席したときに、君が代斉唱の際に起立しないで抗議の意志を表明してきた立派な方も多いのですが、こうした抗議を重荷に感じる人もいるのではないかと推測します。
さざ波は、きっとさざ波では終わらないと思います。終わらせてはいけないと思います。小さな火花がやがて炎となり燃え上がるように。