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『時事通信』による「不審船事件」の報道について

1999/3/26 おかしい?、30代

03/23 18:49 時:○偽装漁船を追跡、威かく射撃=2隻、停船命令に応じず。 時事通信ニュース速報
 23日、海上自衛隊機が能登半島沖と佐渡島沖の日本海領海内で不審な船舶2隻を発見、連絡を受けた海上保安庁の巡視船艇が停船命令を出したが、振り切って逃げた。巡視船艇は、同日夜2隻に威嚇射撃、追跡したが、24日未明、追跡を事実上断念した。2隻は外見上漁船で、日本語で船名が書いてあったが、当該の漁船が別の場所で操業していることなどから、偽装漁船とみられる。事態を重視した政府は首相官邸内の危機管理センターに「官邸対策室」を設置、24日未明、自衛隊法に基づく「海上警備行動」を初発令。海上自衛隊の護衛艦が至近距離を追跡、警告射撃を行った。 [時事通信社][1999-03-23-18:49]

 この記事が配信された時刻に注目して下さい。その前には「不審船事件」が 無いことにも。つまり『時事通信』の一番最初に流れた「不審船事件」の記事だということなのですが、そこには既に結末まで書かれているのです。この記事の中では、自衛隊には「海上警備行動」を24日未明に発令したことになっていますし、追跡、警告射撃までしたことになっています。この記事は「官邸対策室」が設置さたところまでは時系列に合いますが、それ以外は全て未来のことを書いているのです。
 さて、一体『時事』の記者はなぜ翌日未明(24日午前0時50分)の「海上警備行動」を予測できたのでしょう、また、その後の警告射撃もなぜ知ることができたのでしょう。さらに24日未明には追跡を断念することまで (つまり捕まらないことまで)予測できたわけです。
 この記事配信のあった23日午後6時49分以前に、既に事態の大まかな経過と結末までが決まっていたことを、この時事の記事は教えてくれている。「危機管理がどうこう」など言うのは茶番そのもの。読売社説のような超タカ派論説を引き出すために行われた大々的出来レースだったわけだ。
 もしもこの記事とそれについての考察が正しいとしたら・・・恐ろしいことがこの国で現在起きていることを示します。脅威を捏造し、演出し、さらに危機を煽って国民世論を誘導しようという「宣伝相」がいるというわけです。読売新聞などはその機関誌然としておりますが、毎日や朝日なども「領海侵犯にある程度の強硬手段はやむを得ない」などと、すっかり騙されているわけだ。
 日向灘の追跡劇から、94年の核疑惑、テポドン疑惑に不審船、米ソ冷戦が終わり軍事的脅威は日本近海でも急速になくなっていくことをまさしく「好まない」連中が仕組んだ罠。それに日本全土が陥ろうとしているわけです。
 この記事については、一つ指摘できることとして、単なる予測記事ではないかという見方があります。『通信社』は契約新聞社に早く原稿を配信しなければならないので、結果が予測できる事件についてはかなり大胆な予測記事を配信することはよくあります。結果が違った場合は記事の訂正を配信したり場合によってはキャンセルすることもあります。
 この記事も予定稿であったことは間違いないでしょう。 だから、政府関係者にこの記事を突きつけても答えは「時事は大胆な予測記事を書いたものですね。ははは」で終わりだろうと思います。
 しかし、この記事は単純に予測出きない部分がいくつもあります。
 だいたいが予測記事はルーチンワーク的な事件とか前例のある事件などではいくらでも予測できるから書けますが、今回のケースは前例もないし、まして「24日未明に追跡断念」するためには、その段階で防空識別圏を超えるなどの状況が必要です。
 不審船の速度は記事の出た午後6時49分頃の段階ではまだ時速22キロ程度のスピードしか出していません。その後午後8時に海保が警告射撃をしたところ、速度をどんどん上げ初めて、最終的に時速65キロあたりまでつまり3倍もの速度にまで上げたわけです。そのため巡視船では追いつかないから午前0時50分に海上警備行動を発令して自衛隊に引き継ぎ、24日午前1時19分みょうこうによる警告射撃が行われるわけです。つまり速度を3倍に上げることがわかっていなければ、24日未明に追跡を断念せざるを得なくなることなどわからないはずです。また、警告射撃も海上警備活動発令後に行われたという前例がないわけですからわかるはずもないと言えるでしょう。
 従って、この予定稿を書いた記者は、情報を得た政府関係者から相当程度詳細な周辺情報を得ていたとしか考えられず、その情報には海上自衛隊の出動、発砲、追跡断念をも示唆するものであったということです。つまり、23日午後6時49分の段階で、自衛隊を出して追いかけ、攻撃を加えつつ追跡をあき らめるシナリオを示されたと考えるのが一番自然だと言うことです。