私は、共産党支持者です。誰に聞かれてもはっきりと答えることができます。京都在住のときは、藤原ひろ子候補の運動もお手伝いしたこともありました。若干19歳のころのことでした。
なぜ、私が、選挙運動ができないか、党員になろうとしないのか、『しんぶん赤旗』をとっていないか、いま、全国の共産党員や、支持者のみなさんに知っていただきたく勇気を持って投稿した次第です。(このことは、公明党員、創価学会員のみなさんにも通ずることとおもいます)
京都で、選挙運動のお手伝いをしていた時のことでした。演説会の応援弁士さんと党員2名をのせて、宇治市内を運転手として走行していました。大久保というところに日産の工場があるのですが、その工場前が渋滞していて、日産工場から出てくる車が、本線に入れずに困っていたようすだったので、停止して行かせてあげました。すると後ろにのっていた、党員のひとりが、「日産から出てくる車なんて入れささなくてよい」みたいなことを言われました。そのときは、なんとも思わなかったのですが、その日帰宅してから「これは、おかしい」と一人で悩みました。
なぜ日産の工場から、出てくる車が、悪者なのでしょうか?
日産に納品にきた、中小企業の人かもしれない、日産の労組の人かもしれない。まして、どんなに良い人でも「日産」から出てきたら悪者という発想が、どこからでてくるのか、そのときは、お互いにドライバーどうし、譲ってあげて、困っている人がいたら、どんな人でもたすけてあげることが、党活動に熱中するあまり見えなくなってしまっているように思えました。(その党員のかたは、とても良い人なのです)
その後も共産党員(創価学会の人も)の人とたくさんのお付き合いがありますが、すべてとは、言いませんが、人の価値判断を思想のみで捉えているひとが、多いように思います。それまでよい人と思っていた人が、自分と違う党の支持者とわかった時その人の人間性が、まったく見えなくなってしまうようです。
右翼の宣伝カーに乗っている人のなかにもお付き合いしてみれば、良い人は、きっといるはずです。
私も党員になって一生懸命運動すれば、きっと同じ考えになってしまいそうです。私は、良い人とは、どんな思想の人とでも友達になりたいとおもいます。実際私の友人の公明党員は、それはそれは良い人です。人を見る時にその人そのものを見てお付き合いしたいのです。
勝手なことばかり言いまして申し訳ありません。
今回の統一地方選大勝利心からうれしく思っています。私は何もできませんが一生応援しています。また、これをお読みになられた方々のご意見を頂戴できましたらうれしくおもいます。
がんばってください。